あいまいまいんの生物学

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紙本を生活空間に置く、ということ

紙本はやっぱり大事だよね。という話をします。

 

 

近年、電子書籍なるものが現れ、急速に広まっています。

自分自身も電子書籍ユーザーです。割とヘビーに使っています。

自分の場合はkindleの端末を持っているので、そこにダウンロードして使っています。

kindle端末は軽くてあまり負担がかからない上、薄くて場所を取らない&持ちやすく、家でゴロゴロしながら読んだり、外出先で読んだりするのに大変便利です。あの軽い端末に何十冊と本が入るので、気分に合わせて読める本を変えられるのも最高ですね。紙本で同じことをやろうとするとランドセルが必要になると思います。

加えて自身は今海外にいるので、その点でもkindleには感謝しかありません。海外ではなかなか紙の日本語書籍を安易に買うことができません。日本語の本がズラッと揃った図書館ももちろんありません。ところがkindleはワンクリックすれば自分の端末に情報が現れます。kindleのおかげで海外でも読書ができます。ありがたい。

 

 

てなわけで、電子書籍ってすごいですよ。

実生活空間を逼迫しないから、引っ越しも楽だし、どれだけ積んでも床も抜けません。

脚注に一気に飛べる仕組みや、本を傷めずにブックマークする仕組み、良いなと思ったフレーズに線を引ける仕組みなんかもいいですよね。良点をあげてったらキリがないですわ。

 

 

これだけ電子書籍の良さがあるのなら……

紙本は必要ないのだろうか?

 

いや、そんなことはない、と私は思います。

特に、教育の面からすると、紙本は超大事だ、と思うんです。

 

自分が紙本大事だな、と思い始めたきっかけは、夫との会話でした。

 

夫「○○っていう本読んだ?すごくよかったよ。」

私「読んでない。読みたいな。どこにある?」

夫「電子書籍で買っちゃったから……」

 

電子書籍で買ってしまっていると、シェアする方法は相手の端末を借りることと同義になってしまいます。そうすると当たり前のことですが、端末の持ち主が本を読みたい時にはこちらは本を読み進められません。

でもそれ以上に問題だなと思ったのが、相手が読んでる本が何なのかが電子書籍では普段見えないということです。いや、これはいい面もあるのです。誰にも知られず自分が本当に読みたい本が読めるのですから。でもその反面、素晴らしい本を読んでいたとしても、読んでいることすら自己開示するまで気づかれないし、そういう本が存在していることすら相手にはずっと分からないわけです。

 

逆に紙本はどうでしょうか。紙本は、常に私達の生活空間に鎮座しています。

もちろんしまい込まれてダンボールに入ったものは、中々普段目につかないでしょうが、適当に机に置いてある本、本棚に並べてある本であれば、本がある、ということは少なくとも無意識の内に把握できます。

相手が読んでいる本もわかるし、そういう本があるんだ、という本の存在を知ることもできます。

そして実際夫は私の紙本を勝手に読んでいることもあるし、私も勝手に夫の紙本を読んでいることがあります。

 

つまり

家庭内で異種文化に触れる機会は、紙本によって提供され得るのです。

自分と違う人間(配偶者、親、子供etc)が持つ考えや教養はある種の異種文化です。自分の興味とは違う興味、自分の知らないことを知っている人……

そんな他者のまさに異文化たるところを会話もなしに開示してくれるのが紙本なわけで。

それを活用すれば、自分の世界を拡げることができ、自分だけでは手の届かなかったところ、行くはずもなかった場所に簡単に行くことができます。

そんな風に、自分と違う人間の持つ違う文化を簡単に提示し、かつ容易にそこにアクセスさせてくれる門となるのが、紙本だと私は思うのです。これは教育的に超大事じゃないですか?

 

 

それだけではありません。

紙本はまず、その存在に嫌味がありません。ただただ「在る」だけで、通常自身の生活空間にあるからといって、強制的に読まなければならないものではありません。

それって意味ないんじゃない?と思うかもしれませんが、実際にはその嫌味のなさ故にずっと生活空間内にとどまり続ける異文化になることができますよね。普通は排除されてしまうはずのものが、ずっといるんです。そして無意識に入り込む。

ただ生活空間にぼんやり座ってるだけでも、紙本の背表紙や表紙は目に入っていて、こんな世界もあるんだという世界の広がりが無意識に刷り込まれる。ちょっとだけ注意を本に向ければ、くっきりとそれらの情報を得ることができる。……「ちょっと」勢いがあれば、すぐ手に届く異文化が常に傍らにあるのです。そのような状況を用意できる紙本は凄まじい。

 

更に、紙本は物理的に「物色」が可能です。

暇だな、何か読みたいなと思った時に、ダンボール箱でも本棚でも、そこに紙本があれば漁ることもできます。

オンラインでも「物色」はもちろん可能です。が、単語を絞って検索したり、セール本をぼんやり眺めたりという形になってしまうでしょう。これでは結局自分の射程圏内というか、あまり深い異文化には中々リーチできません。

他者のkindle内の本を物色するにしても、定められた枠内にズラッと並んだタイトルから物色するわけで、ランダム感と一回で把握できるタイトル数は紙本の物色に及びません。その上ちょっとだけ開いて見てみる、という行為がkindleでは割と億劫で、紙本の方が楽だ……というのもあります。ちょっと開いて見てみたら面白そうだった、パラパラめくって全体を把握してみたら本を読みたくなった、というのは誰しも経験があるはずで、そういう本への導線がないkindleでは読み始めるハードルは少々高めな気が個人的にはしています。

そういう物色の容易性と、ペラペラめくって惹き込まれるという良さは、やはり紙本にしかない特徴なのではないでしょうか。

 

 

 

勿論テレビとかYoutubeとか、街に出た時のポスターとか友人との会話とか……実際の暮らしの中には至るところに多種多様な扉が存在しています。

特にテレビやYoutubeは、情報の検索性という観点ではかなり低い評価を受けがちですが、逆に受動的に情報を得られる―思いもよらなかった、自分では意識的にリーチし得なかった情報を得るには大変良い媒体だと思います。動画の中身は見るまで分からないという点が、逆に人々の異文化排除フィルターをするりと通り抜ける利点になり、新たな世界へ導いてくれたり、知らない知識を与えたりしてくれると思うのです。しかもそれら情報を得るための活性化エネルギー的なものはとっても低い。ほぼ無意識、受動的に、なんの気構えもなく得られます。動画は在る種の娯楽ですからね。

とはいえ、動画は常に目と耳を占有し、長時間の拘束を要求してきます。動画サイトを開かないと、またはテレビをオンにしないとアクセスもできません。

その点紙本は電源なしでも存在し続け、自分が意識的に動かなくてもただ「在る」……単純接触効果を考えたら生活空間で常に固定位置を占めて目に入る本は扉機能が強いんじゃないかと思うんです。

 

そんなわけで、紙本は教育的効果はかなり強いと思われます。在るだけで効果がある。積むだけで効果がある。

紙本は、自分と他者を豊かにする素晴らしい本の形だな、と改めて思います。

いい本は紙でなるべく買おう(買えるならば)、という気持ちになりました。

 

 

 

とはいえ、自分はkindleユーザーですし、kindleでも布教や、他者への情報開示が容易にできるようにならないものかな……ともちょっと思います。kindleで買ったから全てを諦めなければならない、なんてなんだか寂しいじゃないですか。

kindleも自分の使い方、工夫次第で教育効果が出るのでしょうか。そういうのも考えていきたいですね。