あいまいまいんの生物学

生物教員の端くれが勉強したりプログラミングしたり。

日頃感じたこと思ったこと、出来事など

勉強したプログラミングなどの話

授業で使えそうな生物学の知識・雑談・小ネタ

などなどを紹介していきたいと思います

生物雑学「まいばいお」は不定期更新

ノーベル化学賞・物理学賞のプロの文を読んで

ノーベル賞が続々と報じられてくるわけですが、本当に残念なことに、

日本人が受賞しないとあまり大々的に報じられなかったり、

報じられたとしても些末な話(結婚が~とか幼少期が~とか)ばかりで、

どのような技術が、科学が、賞を受賞したのか、その歴史的背景は、というのを丁寧に説明してくれるところっていうのはあまりないですね。

すごく悲しいなと思います。

教員間で話をしていても、「ノーベル化学賞発表あったね!」と切り出した時に

まさに化学教員という立場の人からでも「日本人ですよね!」と返ってくるのは本当に悲しい。

「化学」の振興を支えるための人材育成をする教員が「日本人」に先に囚われていて良いものだろうか。

 

どこの国の人か、というのが全く価値がないとは言わないけれど(例えばアメリカから多いのはこういう背景があるからだね~とか、こういう経済状況、こういう科学発展支援があるからだね~みたいな議論に結び付けられるだろうから)

でも何よりも先に大事なのはノーベル賞においてはやはりサイエンスの中身だと思う。

何故、国境を超えて同じ志や理想を持つ人達が共にサイエンスに励むこの現生の世の中で

グローバル化を叫ぶくせに「日本人」に固執するのかが未だによくわからないです…。

 

 

ちょっと愚痴っぽくなってしまった。

気を取り直してノーベル賞の話で。

 

化学賞や物理学賞が発表されたには発表されたんですが、

如何せん専門外にも程がある(正直医学・生理学賞だって専門外だけど…それよりも距離が遠い)ので、

何も分かってないのは嫌だなぁ、いけないなぁと思いつつもどこからどう拾っていけばいいか分からないというのが自分の本音でした。

英語の説明を読もうにも、ちょっと時間がなくて専門用語を調べながら読むのは厳しそうだなとか思ったり(ストーリーのイメージもないし)

 

そんな時に日経サイエンスの記事に出会いました。

www.nikkei-science.com

www.nikkei-science.com

 

この記事では、勿論めちゃくちゃ深くわかる訳ではないんだけども、大体のポイントは押さえられていて綺麗に流れがわかるようになっています。

その発見の歴史的価値とか、人が成した功績とか、それでサイエンス(または世界)にどう役立ったかとか。

さらっと読めてなるほど~という気持ちになれる。

このキレイなまとめ方に、さすがプロだな~と思いました。

自分は、これを読んで「何も分からない」状態から「ちょっと拾えた」気持ちになれましたし、これをきっかけに「じゃあ英語の説明の方も読んでもうちょっと深く勉強してみようかな」と興味のきっかけになりました。

 

自分が目指すものもこういう所を見習うべきだとも思いました。

 

自分は今、学校で毎週生物広報誌を出しているんですが

その内容は、皆の身の回りのちょっと知らない生物学の話であったり

なんとなく知ってるけど詳しく知らない生物学であったりを紹介するものです。

新しい研究とかも時々取り扱っています。

個人的にはそれらの目標は、

  • 気軽に読める長さであること
  • 面白いと思ってもらえること
  • 興味を持つきっかけにしてもらえること
  • 他の本とかに負けないくらい行ける所まで攻める(深堀りする)こと

です。

ただ、最近ちょっと迷走気味だった部分がある。

ので、今回の日経サイエンスの記事はなんていうか、ハッとさせられる面があって。

「やっぱりこういう『新鮮な感動』『サイエンスの面白み』みたいなのを私は皆に配りたいんだなぁ」と再確認させられました。

誰に届くんだかさっぱりだけど、頑張っていこう、って思いました。

 

 

ということで、一念発起して来週配布予定(今週は試験で配れないので)の「ノーベル医学・生理学賞」の記事を一生懸命編集したのですが

なんと普段B4 1枚におさまるところがどう頑張っても2枚になってしまう。

いきなり「気軽に読める長さ」オーバーしてるやんけ!

で、これはいかんと悪戦苦闘していたところに生徒がひょこひょこ集まってきて、「先生何してるの?」と言うので説明すると

ノーベル賞の中身、ちゃんと知りたい!その記事は嬉しい!」

と反応され、更には

「全然2枚でOKです!むしろ削らないで!」

と言われてしまいました。

案外生徒はこういうものを求めてくれているのかもしれないな、と思いました。

 

ついでに

「化学賞とかも書いてほしい」

って言われたけれど、書けるか・・・・?

(ちなみに前の年は化学賞も書いた。何故なら酵素の指向性進化法は生物学にもだいぶ通じていたので、生化学の道に化学系の子を引き摺り込めるいいチャンスだと思って…)

自分が何ができるのかはよくわからないけれど、とりあえずできる限りのことをがんばっていきたいと思います!

 

 

P.S.

ついでに、ネットでノーベル化学賞とか物理学賞の良い解説記事を探そうとしても、謎のニュースの記事や内容ペラッペラのものに邪魔されてしまうのが悲しいですよね…

日経サイエンス以外で良記事があったらぜひ教えてほしい。化学・物理のことを詳しく知りたいし、医学生理学についてももっと良くできるならしたいし…

基礎生物学研究所一般公開 報告

10月5日(土)に行われた

基礎生物学研究所一般公開に行ってきました!

www.nibb.ac.jp

 

自分の知り合いも何人かここで研究をしているので、毎年欠かさずこの持ち回りの研究所一般公開に行ってしまいます。

今年の基生研では2人の知り合いがいたので、会えたらいいな~と思いつつ行ってきました…! 

 

まず最初に行ったのが環境光生物学研究部門の展示。

いきなりサンゴの骨と褐虫藻を展示していました。

そこで、「サンゴが持っているGFPに紫外線が当たると、GFPから緑色光が出て、これを目印に褐虫藻が集まってくる」という話をされました。

そんなの知らなかったなぁ、と驚いていたのですが、帰ってきて調べてみると2019年1月に発表された研究成果だったのですね。最新の情報に疎いのダメ…

www.aist.go.jp

緑色光は、海中での減衰も少ないとのことで、

基本的に陸上植物の場合は青と赤の光を使って光合成するけれど、

海中の植物や光合成生物の場合は青と緑を使うんだって。

よく考えられているなぁ…というかGFP褐虫藻を呼ぶ仕組みがサンゴに一から突然変異と自然選択の仕組みだけでできていったのだとしたらすごいな…と思いました。

一緒にいた生徒が「じゃあ、普段サンゴを飼ってる飼育水槽の上でブルーライトみたいなのを当ててるのは褐虫藻のためなの?」と言い出し、そういう効果まで考えられていたのだとしたらすごいな、とちょっと感心。多分元々はそういうつもりじゃないと思うけど…(単にキレイだからなのでは?)

 

そこでの説明では、「褐虫藻はサンゴから離れるとしばらくして死んでしまう」ということも話されたので、疑問に思って「じゃあ褐虫藻はどこからやってくるんですか?どうやって?何日以内とか決まってたり?」と聞くと、「それはまだよくわかってないんです…」とのこと。

近くにサンゴがいたら、そこの褐虫藻が新サンゴ(?)に来るだけだろうと考えられているけれど、

全くサンゴが周りにいないような状況でどうやって褐虫藻が生きてるかとかは、まだよくわかっていないらしい。そうかぁ…

 

同ブースではクラミドモナスの展示もしていました。

こうやって沢山のクラミドモナスが入った容器を用意して、一緒に黒い画用紙にくり抜いた型を用意する。

型をクラミドモナスの容器の底にあてがって、更にその下から緑色の光を強く当ててちょっとだけ待つと…

お見事!!

走性ばっちりですね!!!!

これはクラミドモナスの型らしい。クラミドモナス…????

ちなみに10秒くらいするとすぐ散っちゃって形はわからなくなります。クラミドモナス早すぎ。

 

横で顕微鏡観察もさせて貰いましたが、もうね、ビュンビュンですよ。

めっちゃ早いのね、クラミドモナスって。疾走感やばいな。

加えてなんと、あの有名なテトラバエナ(シアワセモ)も展示していました!!!

感動!!初めて見た。

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幸せになれるかしら。

 

 

次に行ったのが「細胞オルガネランド」と銘された細胞動態研究部門&植物発生生理研究グループの展示。

そこではゼニゴケを展示していました。

ゼニゴケは、自分が高校生の時の生物オリンピックで出てきた実験題材で、めちゃくちゃ想い出深い存在です…(全然分からなかった、いい思い出)。

そんなゼニゴケについて、精子の話と油体の話を伺いました。

 

まず精子

ゼニゴケの精子って、別にまぁ精子だし、そんな特別なこともなかろう、と思っていたら、動画を見せられて割とびっくりしました。

というのも、精子はてっきり鞭毛一個のやつだと思ってたら、まさかの「二刀流」だったのですよ!!

「ゼニゴケ 精子」の画像検索結果

しかもね、こう、くるくると、螺旋を描きながら、泳ぐの…

衝撃的でした。精子…なぜそんな形に…

 

更に油体について。

油体は、コケ植物三種(蘚類・苔類・ツノゴケ類)の中でも苔類のみに見られる構造で、これによって種類とかを見分ける指標になるような細胞小器官なんだそう。

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緑のが油体
  • 200個の細胞につき1個くらいの頻度で油体がある細胞がある(つまり全部ではない)
  • 細胞分裂する時には分裂しない(油体のあるものとないものに分かれる)
  • 中の脂質はテルペン系やベンゼン

という。割といろんな特徴があります。

アブラナとかも油を含む袋構造のようなものが細胞内に見えるけど、これは脂質一重層になっていて、中の脂質をただ囲んでいるような構造になっているのに対し

苔類の油体は脂質二重層の中にテルペンとかベンゼンとかが入ってる点で違うんだって。へー。

で、じゃあこの油体がなんのためにあるんだろう?っていうのは今まで分かってなかったらしいのですが

最近の研究で

  • 全部の細胞に油体を持つもの
  • 全部の細胞に油体を持たないもの

を遺伝子特定のおかげで作れるようになったと。で、比べてみると、前者はダンゴムシに全然食べられないのに対し、後者はめちゃくちゃ食べられる。

だから、油体は昆虫の食害を防ぐために持っているものなんじゃないかな、と推測されているということでした。

なんとなく、植物体の画像を見るに、成長にもあからさまに影響がある感じがしたけれど。まぁ、今後分かってくることでしょう。

なかなか知らない世界の話だったので面白かったですね…

 

 

この近くのブースでは宇宙生命探査プロジェクト室の展示も行われていました。

皆で地球外生命体を考えて銀河系に貼ってみよう!という取り組みがあって、

皆示し合わせたわけじゃないはずなのに銀河系中での領域ごとに生命体の形の傾向が違っていたのがちょっと面白かった…

こんなに地球外生命体がいるはずなのに、なんで我々は出会えていないのだろう?という所謂「フェルミパラドックス」をちょっと思い出したりして。

眺めてるだけで楽しかったですね…

ついでに、ちょっとした学びもあって、それは「宇宙空間で植物を探す方法について」という展示でした。

植物を探すには、レッドドロップ現象をうまく使うんだそう。

レッドドロップ現象とは…

種々の波長で光合成の量子収率を測定すると,クロロフィルによる吸収があるにもかかわらず,紅藻では650nm,緑藻では680 nm より長波長の光では量子収率が急激に低下する.この現象は“レッドドロップ"(red drop)と呼ばれる.このレッドドロップ現象は,より波長の短い光を同時に照射すると見られなくなる.すなわち,波長が異なる2つの単色光(片方は680nm以上,もう一方は650nm以下の光)を同時に照射したときの光合成速度はこれらの単色光を単独で照射したときの光合成速度の和よりも大きくなる.この現象を,発見者Emersonにちなんで,エマーソン効果と呼ぶ.光合成電子伝達系には直列に働く2つの光化学系があり,短波長の光は両方の光化学系が利用できるが,長波長の光は片方の光化学系しか利用できないと考えるとエマーソン効果をうまく説明できることから,エマーソン効果の研究は,光化学系Ⅰおよび光化学系Ⅱと呼ばれる2つの光化学系が存在するという概念の確立につながった.

だから、光を当ててレッドドロップ現象が見られる惑星を探せば、そこに植物があるかもしれない…みたいな話でした。

まぁ地球型の植物じゃないと無理だけど…

 

 

次に行ったのが神経行動学研究部門。

ここではゼブラフィッシュの生育を見せてもらいましたが…

ここで友人二人に会うことができました!!嬉しい!!

説明もとっても興味深かったです。

例えば、Wntを入れる場所によって、ただの細胞塊になるのと双頭になるのと2つのパターンがあることを教えてもらいました。発生学ってどうしてそう…

SFRPとWntの移動距離が違うことに関して、

SFRPはあまり細胞が取り込まず動く足場(糖鎖)につくため長距離移動する一方、Wntはよく細胞がとりこんですぐ細胞で壊される足場につくためあまり動かず短距離移動になると考えられている、とか…

こちらも勉強になりました。

特に実験方法を詳細に(プロモーターの話とか…)を友人たちがしてくれたおかげで、生徒は勉強になったと思う!よかった。

 

 

最後に行ったのは共生に関する研究部門の所で、

蘭の話とか聞きたかったんですが、時間がなくて聞けなかった…

研究員の人と英語で軽い会話するだけで終わっちゃいました。

ちょっと心残り。

 

 

 

全部の会場を回って、スタンプラリーをした結果、缶バッチを貰いましたよ!

マウスES細胞だって。

これ、別にマウスES細胞である必要なくない????細胞分裂してる細胞なら絶対撮れるよね同じ像…って思ったけど、

きっと研究者の人は「ES細胞」が「細胞分裂」をしているというところを推したかったんだろうな、と思いつつ…ね。

 

 

今回も充実した一般公開でした!

あともっと勉強しなきゃと思った。知識足りない…

がんばろう~!

 

まいばいお番外編 2019年ノーベル医学・生理学賞 発表!

今年もいつの間にかノーベル賞発表の時期になっていました!

驚き。

前の年から考えると色々なことが劇的に変わったなとしみじみ思ったり…

 

私が高校生の時には、毎年生物の先生がノーベル賞の話を決まって授業の最初にしてくれて、

私はそれをふーんと、割と適当に、かつ受動的に聴いていたものでした。

でも今は教育者という立場になったからというのもあるけど、個人的興味もあってノーベル賞には注目しています。

ノーベル賞を通じてどんな先人の素晴らしい動きがあったのかっていうのがよく分かるし、新たな分野についての知見を得るきっかけにもなるし。

 

ということで今回は、まいばいお番外編で

今年のノーベル医学・生理学賞について書きたいと思います!!

ただし、私は今回の分野には完全ド素人だったので全部発表から勉強した断片的知識なので、あんまり詳しくは書けませんごめんなさい…(そして現段階ではまだ論文に目通しきれてないので後で書き足す気がします)

 

ノーベル医学・生理学賞の発表ページに載っていることを和訳しているのがベースになっています!じれったい人はそっちへ是非。

 

 

✿2019年ノーベル医学・生理学賞は「低酸素応答の仕組み」

2019年10月7月、2019年のノーベル医学・生理学賞が発表されました。

受賞者はWilliam G. Kaelin Jr., Sir Peter J. Ratcliffe, Gregg L. Semenzaの3名です。

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以下所属:
William G. Kaelin Jr.:

Harvard Medical School, Boston, MA, USA, Howard Hughes Medical Institute, Chevy Chase, MD, USA

Sir Peter J. Ratcliffe:University of Oxford, Oxford, United Kingdom, Francis Crick Institute, London, United Kingdom

Gregg L. Semenza:Johns Hopkins University, Baltimore, MD, USA

 

彼らの受賞項目は、「for their discoveries of how cells sense and adapt to oxygen availability」

-すなわち、「細胞の酸素利用率の感受と適応の方法の発見に対して」です。

 

 

✿酸素は生命に欠かせない

酸素はミトコンドリア有機物から生命が使用可能なエネルギーを取り出すために用いられます。

しかし酸素レベルは常に一定なわけではありません。

例えば激しい運動をすれば、筋肉への酸素供給が追い付かなくなることで筋肉が低酸素状態になります。

高地に行けば、空気が薄くなる分酸素が少なくなります。

そのように酸素が少なくなったときでも、生命・細胞が運営され続けるにはその酸素レベルに適応して代謝や形質を変えていくことが欠かせません。

その生命の根幹を支える適応の仕組みは一体どういうものでしょう?

 

 

✿1980年代までに分かっていたこと

人体については、まず頸動脈小体という頸部の両側の大きな血管に隣接する構造が血液の酸素レベルを検知する特殊細胞を持っていることが既に知られていました。

これは1938年のノーベル医学・生理学賞の受賞項目にもなっています。

 

頸動脈小体での低酸素適応に加え、人体ではエリスロポエチン(erythropoietin,略してEPO)というホルモンが低酸素時に濃度上昇することが知られていました。

EPOは赤血球の産生を促進する効果があり、低酸素時でも赤血球数を多くすることでより多くの酸素を体内に取り込むように寄与します。

このような知見が1986年から1987年にかけて行われたものの、EPOの量がどのような仕組みで酸素濃度によって制御されているのかは分かっていませんでした。

 

 

EPOを追う中で見えてきたもの

Gregg SemenzaはEPO遺伝子がどのような仕組みで酸素レベルによって制御されるかを調べるため、まずマウスを用いて研究を行いました。

ヒトのEPO遺伝子およびその周辺配列について、様々な長さ・領域をとってきたDNA断片を作成し、それらをマウスに持たせてみたのです。

結果、EPOをコードする領域に加え、5’および3’隣接領域をカバーする4kbほどの領域が、マウスにおいてEPO量の増加による多血症を引き起こすことを見つけました(1989年)。

つまり、EPOの隣接領域に酸素感受性の発現制御に必要な領域が含まれるということです。

 

1991年には、EPO遺伝子の3’隣接領域に対してDNase I footprint assayというものをSmenzaは行いました。

これは、「DNA上に何かが結合した状態でDNase(DNA分解酵素)を作用させた場合、何かが結合している場所は分解を免れほかの場所は分解される」という論理に基づいて、DNA上の物質の結合部位を調べる方法です。

この実験の結果、EPO遺伝子の3’隣接領域にある256塩基対がDNaseから守られている、すなわち何かが結合できることが分かりました。

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DNase I footprint assayのイメージ図

加えてゲルシフトアッセイ(EMSA法)という、「何かが結合しているDNAは何もついていないDNAよりも電気泳動時の移動速度が遅くなる」という理論に基づいた実験方法を用いて、

含まれる4つの領域がいくつかの核因子と結合すること、

少なくとも2つの領域については貧血時に結合が誘導されることが判明しました。

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ゲルシフトアッセイのイメージ図


同年の1991年、Sir Peter RatcliffeもEPO遺伝子の酸素依存的制御について調べている中で、

EPOを発現する細胞以外でも酸素を感受するメカニズムがあることを明らかにしました。

ここで「全ての細胞は何かの方法で酸素を感受し、低酸素に応答して適応している」と示唆されてきたのです。

 


1992年にはSemenzaがEPO遺伝子の低酸素誘導発現に必要なのは3’隣接領域の50塩基対であることをつきとめます。

ここに酸素依存的に結合するタンパク質複合体も同定し、「低酸素応答因子(hypoxia-inducible factor)」の頭文字をとってHIFと名付けました。

HIFは1995年の実験で、HIF-1αとARNTというタンパク質からなることEMSA法を用いて確認され、この中でも低酸素依存的に細胞内で量が変化するのはHIF-1αであることが確認されました。

 

その後の研究でHIF-1αは、遺伝子発現量の変化ではなくタンパク質の安定性の変化(分解されるか否か)によって細胞内での量が変化していることが突き止められ、

HIF-1αは酸素レベルが高いと分解され、酸素レベルが低くなると分解されない結果HIF-1αの量が上昇、EPO遺伝子のところに結合・制御できるようになることが明らかになりました。

この仕組みを更に調べる中で、普通の酸素レベルの時には小さいペプチドであるユビキチンがHIF-1αに付加されること、

それを目印にプロテアソームがHIF-1αを分解するということも明らかになりました。

しかし酸素依存的にどのようにユビキチンが付加されているのかは謎のままでした。

 

 

✿がん研究が低酸素応答とつながった

これらの低酸素応答の仕組みを探る研究の傍ら、

同時期に、がん研究者であるWilliam Kaelin, Jr.は遺伝病であるフォンヒッペル・リンドウ(von Hippel-Lindau (VHL disease))病を研究していました。

VHL突然変異を持っていると劇的にがんのリスクが高まるということが知られていました。

 

Kaelinは、VHL遺伝子ががん発症を防ぐタンパク質をコードしていることを発見し、

さらにVHL遺伝子を欠いたがん細胞は異常に高いレベルのHIFを発現していること、

そしてVHL遺伝子をがん細胞に再導入するとHIFが正常レベルに回復することを発見しました。

これはすなわち、低酸素応答のコントロールにVHLも含まれているという重要な証拠です。

 

いくつかの研究グループから、VHLがタンパク質をユビキチンで標識しプロテアソームで分解させる複合体の一部であることを示す証拠がさらに出てきたのに加え、

Ratcliffeと彼の研究グループは、VHLが物理的にHIF-1αと相互作用できることを示し、

VHLは通常の酸素レベルでのHIF-1αの分解に必要とされることを示しました。

 

 

✿役者は揃った、あとは仕組みだけ 

HIF-1α, VHL, プロテアソーム, ユビキチン…

酸素があるとHIF-1αとVHLが結合しユビキチン・プロテアソーム系で分解され、

低酸素ではHIF-1αとVHLの相互作用が発生しないためHIF-1αが分解されずDNAに結合して低酸素応答を引き起こす、というところまでストーリーは明らかになりました。

しかし問題は「なぜ酸素があるときとないときでHIF-1αとVHL間の相互作用が切り替わるのか」です。

 

KaelinとRatcliffe は、HIF-1αのタンパク質ドメインのどこかに酸素感受性の残基があることを推測していました。

なぜなら、当時別の研究によって、コラーゲンタンパク質において酸素依存的な変化が起こることが知られており、

これはコラーゲンのプロリン残基がヒドロキシル化されることで起こることが発見されていたからです。

HIF-1αも同じく、プロリン残基が酸素依存的にヒドロキシル化され、結果VHLと結合できる立体構造になるのではないか?と彼らは疑っていたのです。

 

その推測は大当たりでした。

2001年、彼らは、通常の酸素レベルではHIF-1αの2つの特定の部位に、酸素感受性をもつプロリルヒドロキシラーゼという酵素によって、ヒドロキシル基がつけられることを示した論文を発表しました。

プロリルヒドロキシル化というこの修飾により、VHLはHIF-1αを認識して結合できるようになり、結果として通常酸素レベルにおいてはHIF-1αが急速に分解されるようになっていたのです。

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低酸素応答の仕組み

HIF-1αの分解に加え、2001年には2番目の酸素依存性メカニズムもSemenzaによって発表されました。

FIH-1という酸素依存性ヒドロキシラーゼが、HIF-1αのN末端活性化ドメインアスパラギン残基を水酸化することが分かったのです。

このヒドロキシル化は、p300転写コアクチベーターの動員を妨害することが発見されました。

このようにして、酸素はODDドメインのプロリルヒドロキシル化を介し、HIF-1α分解を促進するだけでなく、VHL依存性分解を回避したHIF-1αの転写機能を阻害することもできるということが分かったのです。

 

このように細胞には、酸素レベルによって2つのメカニズムを用いながら、HIFレベルを適切かつ正確に制御する仕組みが備わっていたことが明らかにされました。

 

 

✿この研究成果が何につながるのか

酸素感受によって私たちの身体は、細胞レベルでは好気呼吸から嫌気呼吸に切り替えたり、身体レベルでは血管新生や赤血球産生を行ったりと、様々な部分で変化をし、酸素状況への適応を行っています。

ですから逆に言えば、この酸素感受が崩れると多くの病気の中心にもなりうることになります。

例えば慢性腎不全患者は、腎臓細胞内で作られるはずのEPO発現が低下することによって重度貧血に苦しむことになります。貧血なども酸素濃度への適応障害の例です。

 

特に癌細胞では、今回見てきた低酸素応答の仕組みは悪用されています。

癌細胞は本来正常な細胞が配置されない部分で増殖するため、癌細胞に栄養や酸素を供給する血管が最初近くにありません。

この低酸素状況に適応できなければ細胞は淘汰されてしまいますが、癌細胞はHIFを細胞内で高く維持することによって血管形成を刺激して周囲に血管を作らせたり、嫌気呼吸をメインに切り替えることで効率的な増殖を可能にしたりしています。

嫌気呼吸で作られた乳酸は、血液にのって血管近くにある癌細胞に取り込まれます。するとこの細胞では、乳酸がミトコンドリアの酸化的リン酸化に使用される分グルコース消費が抑えられるようになっており、節約された分のグルコースは血管からより遠くの癌細胞まで届けられることが可能になります。

このように、低酸素応答は低栄養状態すらも改善させる力を持ち、癌細胞に有利な環境を作る力を持つのです。

癌細胞の浸潤や転移にもHIFが関わることを示唆する結果も出てきています。

 

このように、様々な病気の病態に低酸素応答が関わっているとわかってきている今、今までの研究で得られた低酸素応答の仕組みの詳細は非常に役に立つ可能性を秘めています。

経路図が分からなければ何をターゲットに薬を作ればいいか分かりませんが、分かっている薬や治療の地図をひくための強力な武器になるのです。

酸素感知機構を作動または遮断することにより、さまざまな病状に干渉する可能性のある薬物の開発が考えられるのですね。

 

 

今回のノーベル医学・生理学賞は、ひらめきとか飛びぬけたアイデアというよりは、

堅実な実験と研究結果の蓄積が生み出した素晴らしい成果だと思います。

一人ひとり携わった人の努力がなければ、この地図を作り上げることはできなかったと思うのです。そういう意味で今回の受賞者も、ここに関わった人々のことも、私はすごいなぁと思います。

正確な結果を出すために、正しく実験を組み、的確に実行し、データを集め、論文にまとめ、そして次の問題点を解決するために動く…という作業は、本当に大変なものです。簡単に言うけれど簡単では決してありません。

そして生物学の研究は何年もかかる大変なものなので、地図を書こう、と思って一発で書ける結果が出るものではない。長年の蓄積の賜物でしかあり得ない。

本当にすごいなぁ…(すごいなぁ以外出ない語彙力)

 

 

P.S. 友人から「低酸素応答なら京大が説明を出してるよ」と紹介されたので貼っておく。

ocw.kyoto-u.ac.jp

まいばいお15 免疫を逃れる病気たち

今日は急に学校内で欠席者が多発した日でした。

いよいよインフルエンザの波か?とちょっとヒヤヒヤしています。

斯く言う私もちょっと体調悪い。

今週末はイベントがあって部活で駆り出され、その引率なので休みがないので不安なんですが…

 

 

 

 

✿免疫VS抗原、永遠の戦い

私たちの身体には免疫機能というものが備わっており、免疫が多様な抗原に対応して侵入者を排除できる仕組みがあるおかげで私たちは生きていられます。

しかし抗原の方だって免疫に負けてばかりいるわけにもいかない。

…この世には、免疫に対抗する術を手に入れた抗原たちがいるのです。

 

 

✿自然免疫のしくみをざっくり

私たちの体内に異物が入り込んだ時、最初にはたらくのが「自然免疫」です。

自然免疫では、好中球、樹状細胞、マクロファージといった細胞が、異物をエンドサイトーシスにより取り込んでリソソームを用いて分解します。

 

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しかしある種の細菌達は、エンドサイトーシスを「利用して」細胞内に侵入する術を手に入れました。

エンドソーム膜を溶かして細胞質に逃げ込んだり、エンドソーム膜の性質を変えてリソソームと結合できなくしたり、

リソソーム中の活性酸素に抵抗性を示すなど、その逃れる方法は細菌種によって様々です。

 

 

✿溶血性A群レンサ球菌

1994年に「人食いバクテリア」として有名になった溶血性A群レンサ球菌という細菌がいます。

これは、エンドサイトーシスを使って細胞内への侵入を果たす有名な細菌です。

 

A群レンサ球菌がエンドソーム内に取り込まれると、溶血毒素ストレプトリジンOというものを分泌し、それによりエンドソーム膜を溶かします。

そして速やかに細胞質へと脱出し、エンドソーム・リソソームによる分解を逃れてしまうのです。恐ろしい…

しかし実際にはA群レンサ球菌が細胞内で増殖した事例は未だ発見されていません。なぜでしょう?

 

…実は、免疫細胞の方も負けじと奥の手を用意しているのです。

その奥の手とは「オートファジー」。

エンドソームから逃れた細菌がいると、細胞内に突如オートファゴソームの膜構造が現れ細菌類を捕獲してしまいます。

そしてリソソームと融合し、内部の捕獲細菌を消化してしまうのです。

A群レンサ球菌の場合は、細菌を構成する細胞壁の成分が、免疫細胞の細胞質内にあるNalp4, Nalp10という分子で認識されるとオートファジーが引き起こされることが知られています。

 

つまり免疫細胞は、最初からエンドソーム膜を破られても大丈夫なように多重に対策を練っていたのですね…さすが!

 

 

✿免疫と細菌のいたちごっこ

エンドサイトーシスに加えてオートファジーまで用意してあるなら大丈夫!…と思うでしょうが、いやいや、勿論細菌側も黙っていません。

それでも切り抜けてやる!と切り抜ける術を手に入れた細菌が実は存在するのです。

 

そんな凄技を持つ代表例が赤痢菌です。

赤痢菌は食物や水とともに侵入し、胃酸による殺菌作用を受けながらも大部分が生き残って腸管内に達します。

腸管内に達した赤痢菌は、腸管上皮にあるM細胞という、リンパ球やマクロファージに異物の提示や受け渡しを行う細胞に取り込まれ、これを介してマクロファージにエンドサイトーシスで取り込まれます。

しかし赤痢菌はそのマクロファージのアポトーシスを誘発する能力を持ち、マクロファージを殺してしまうのです。

そして赤痢菌はマクロファージ外に脱出、腸管の基底膜側細胞表面に接着し,Ⅲ型分泌装置というものを使います。

これは注射針のようなもので,細胞内にIpaと呼ばれるタンパク質を注入することで,細胞骨格を構成するアクチンを再構成させるのです。

結果、赤痢菌が付着した周辺で細胞の形が変化し,エンドサイトーシスを促進する構造が形成されます。

エンドサイトーシスによって赤痢菌は細胞内に侵入し、侵入直後は一時エンドソームに捕獲されるも脱出します。

本来ここで赤痢菌が表面に持つVirGタンパク質にオートファジー関連タンパク質であるAtg5が結合してオートファジーの誘導が起こるのですが、

赤痢菌はIcsBというタンパク質を分泌してVirGとAtg5の結合を競争的に阻害してしまうのです。

 

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このように様々な病原菌たちが免疫と戦ったり、はたまた免疫を利用したりという術を身につけています。

私たちは免疫も進化してきましたが、現代では薬や医療技術で病原菌に対抗もしていますね。

生物が「進化」という機能を持つ限り、この戦いに終わりは来ないのかもしれません・・・。

 

 

 

話は変わって

これはちょっとした悩みなのですが、生物の広報誌、ここで載せている「まいばいお」も、一体どんな内容が求められているかだんだん分からなくなってきてちょっと迷走中です。

自分が面白いと思ったことを勿論書いてまとめているんですが、ストックの中からどれを発行しようか、載せようかとなるととっても悩みます。

これは軽すぎか?とか、これはニッチすぎか?とか、深すぎか?とか、とかとか…

うーん、よくないことだ…

ドラムを叩けるようになりたい

最近めちゃフレデリックにハマってですね*1

聞きまくってる最中にふっと思ったのが、「あ、ドラム叩けるようになりたい!!」。

 

今までも割と音楽自体は好きで、特に楽器に惹かれている面がありました。

自分はピアノとトランペットしか経験がなく、

ギターとかベース弾いてみたいな~と思ったことが何度かあります。

でもギターやベースは機材がないし、一度挑戦しようとしたけど手が小さくて中々大変で厳しさを感じたという経験があります。

 

で、今回ふっと思ったのはドラム。

後ろでズンズン鳴ってるのがいいな!!ってなった。

 

 

それで、ちょろちょろと空いた時間に思い立ったら練習、という形でやり始めました。

それが夏休みの後半くらい。

 

まず握り方を覚えて…

基本の叩き方を覚えて…

左でもできるように練習して…

エイトビートを刻む練習をして…

という風に本当にちまちまとやっています。

最近ダブルストロークに挑戦し始め、

同時に遂に夢見ていた「フレデリックのオドループを叩く」というのにも挑戦し始めました!

ダブルストロークはまだまだダメダメなんですが、これはもう練習するよ。頑張る。

オドループに関しても、どうしても和太鼓になってしまって、

「これは裏打ちにしなきゃだめだよ!」と言われても分からず、つらかった。

自分の何が間違っているのかも直し方も分からない状態っていうのは、つらいですね…本当に精神に来る。自分は駄目なんじゃないか、って思う(今も割とそういう気持ちになるけど…)。

で、一回嫌になってうわーって離れるんだけど、でもこれで負けるなんて嫌だ、今までだって何度もこういうことを乗り越えてできるようになることもあったんだ、と冷静になってくると思い直して、

「やらなかったら今のまま!やったら分かる瞬間が来るかも知れないから!!」って

またドラム(を模したもの)の前に立つわけ。

こういうのを繰り返しています。

 

あと、やってる内に自分に必要なものに気づくなーっていうのをすごく感じていて、

例えばオドループを叩こうにも、最初から元の速さの曲のままでは叩けず、

さっきも言ったように裏打ち、というのが分からない。

すると、裏打ちのタイミングを知るためにゆっくりと、手元を映した参考動画はないだろうか、と探すようになったり、

これはいきなり棒を持つのではなく、手だけでリズム取りをするといいのではないか、となる。

さらに手だけでやっても両手いきなりが合わないので、片手ずつで慣らしてリズムを作って融合させたら…という風になってくる。

こんな風に、結局やってる中で、初めて分かることって沢山あって、

やって、これ知りたいな・これ必要だなってなって、そっち行って、またこれ知りたいな・必要だなってなって、そっち行って…と、まさに亀さんのように、ゆっくり寄り道をしながら、ゆるゆると山を登っていく感覚があるんですよね。

 

だから、私は、どれだけ歳を取ろうが、

色んなことを経験して知った気になっていようが、

結局最初から全部分かることはないんだなぁと。

現在の自分の頭の中の世界は過去に自分が知ってるものでしか満たされておらず、

新しいことに関しては「知った気」になってるけど実際は無なのだ。

無だから分からない、分からなくて当然なんだと。

だからやってみることしかないんだ、やってみる中で試行錯誤する力は今まで生きてきて着けているはずだから、それを活用して適用してやっていくしかないんだ、ってすごく実感しています。

 

取り敢えず、頑張って、ダブルストロークとオドループ一曲叩き切りをできるようにするよ!

 

 

そろそろ、英会話も始めなきゃ…一歩を踏み出さなきゃ…(億劫さが勝ってしまうけど…頑張れ自分…

*1:

個人的に好きなのは

  • オドループ
  • オンリーワンダー
  • スキライズム
  • オワラセナイト
  • 飄々とエモーション
  • TOGENKYO
  • リリリピート
  • かなしいうれしい
  • 愛の迷惑
  • 逃避行
  • シンセンス
  • LIGHT
  • KITAKU BEATS
  • 真っ赤なCAR
  • スローリーダンス
  • さよならカーテン
  • FOR YOU UFO
  • CYNICALTURE
  • シャンデレラ
  • RAINY CHINA GIRL

で、これを毎日リピートしまくってますね…

まいばいお14 世界の伝染病:ペスト

一昨日は散々でした。

ものすごく右側だけ、頭が痛くなり、目が痛くなり、首が痛くなり、肩が痛くなり…

全部右側だけ。

そして気持ち悪くなり、辛くなり、つらすぎて泣きながら運転して。つらいつらいって叫びながら(それくらい痛かった)。

で、昨日は一日中熱に魘されて寝ました。とても辛かったです。

辛すぎて神経がいかれたのでは?とか右脳が膨張したのでは?とか色々思ったけど、麻痺とかはないから多分大丈夫だと思う…多分。

 

ということで、恐らく疲れか、風邪か。

わかりませんが、そんなことで、今日は病気について扱おう、と魘されながら決めていました(どんなつながりなのか…)

特に伝染病を扱っていく!

 

 

 

✿伝染病と共に歩む世界

かつて世界を変えるほどの影響力を持った伝染病、といえば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。

有名な伝染病は幾つもありますが、ではそれらがどんなもので、現在はどうなっているのかを知っていますか?

 

今回は「世界を変えるほどの影響力を持った伝染病」…特に、「ペスト」を取り上げて紹介をしていきたいと思います。

ただ、ペスト、あんまり日本語で生物学的な詳細文献が見つけられず、翻訳ミスがあるかも…とちょっと心配。

 

 

✿ペスト(黒死病)とは

ペストは、ペスト菌という細菌によって引き起こされる感染症です。

ペストは元々ネズミに流行した病気でした。

ネズミの血を吸ったノミが人の血を吸ったとき、この刺し口から菌が侵入したり、感染者の血に接触したりするとうつります。

森林の開拓とともに人が森に入ったことで、このノミと接触したり、人家に住みやすいクマネズミにペスト菌が感染するようになったりしたために流行が発生したと考えられています。

 

ペスト菌が体内に侵入すると、当然のように食細胞たちが集まって来て、大部分のペスト菌は貪食され死亡します。

しかし、マクロファージを含む一部食細胞に貪食された場合、ペスト菌はマクロファージ内でカプセルを形成し安全に存在し続けます。

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www.semanticscholar.org

 

更にペスト菌は、Yopsというタンパク質を自身を貪食するために来た免疫細胞に注入することもできます。

Yopsに含まれるYopBとYopDは、宿主細胞の細胞膜に孔を形成することで、細胞溶解を引き起こします。

また、この孔から他のYopsが注入されると、免疫細胞は免疫機能のために重要な食作用や細胞シグナル伝達経路を制限されるようになります。

加えて、幾つかのペスト菌株ではサイトカイニンの放出を妨げるなど、免疫シグナル経路にも干渉することが可能…

このように、ペスト菌はマクロファージなどの免疫系の細胞による破壊を回避する能力を持っているのです!

細胞を乗っ取ったペスト菌は、細胞と共に血流に乗って感染部位から最も近い部位からリンパ系に侵入していきます。

ここでペスト菌はいくつかの毒素を生成して流していきます。

その毒素の内の一つはβアドレナリン阻害剤。

βアドレナリン受容体は元々心収縮などに働くので、βアドレナリン阻害は心収縮の緩和などを引き起こします。

他の毒素とも共同することで、体機能を弱らせていくようです。

 

ペスト菌がリンパ球感染を介してリンパ節に達すると、急性リンパ節炎を引き起こします。

これによりリンパ節の壊死や出血が生じます。この時点で頭痛、発熱、悪寒などの様々な症状が現れます。

リンパ節が全て冒されると、血流にまで感染が及ぶようになり、身体のほぼ全ての部位に移動できるようになります。

 

血液において細菌がエンドトキシンという物質を作ると、この物質がマクロファージなどの表面にトロンボプラスチンなどの血液凝固因子を生じさせ、

各所で血液凝固反応が始まり小さな血餅が多く散在した状態になります。

この血餅が血流を妨げる結果、各臓器で虚血性壊死(血流欠如による組織死)を引き起こします。

更に、血液凝固のための因子が上記の作用で浪費されるが故に全身で枯渇し、逆に身体全体では出血を止めることができなくなってしまいます。

その結果、皮膚や他臓器では出血が生じ、赤や黒の斑状発疹、そして血液嘔吐が発生します。この様子が「黒死病」の名の由来です。

このような敗血症状が出ると、早ければ発症同日にも患者は死亡してしまいます。

 

ペストが血流に乗って肺に到達した場合はもっと酷く、発症後12~24時間に死亡し、

かつ肺ペスト患者は肺に菌が侵入して痰やペスト菌エアロゾルを排出するため感染可能性を非常に高める要因にもなります。

どちらにせよ非常に怖い病気ですね…

 

ペストの治療は抗生物質で行えるため、現在はそんなに恐れられる病気ではありません。

しかし、実は有効なワクチンが未だにないため予防は不可能です。

かつて開発が試みられたことがあるのですが(ホルマリンによる不活性化ワクチン)、重度の炎症が引き起こされる可能性などから使用が留められてしまっています。

現在、ペスト菌が出すV抗原とF1抗原という、自然免疫や獲得免疫でも目印とする抗原について、これらを再現するワクチンを遺伝子工学で作れないかと考えられているそうですが、

F1抗原を欠く細菌は病原性が十分あり、

かつV抗原は多様性が高すぎることから、中々ワクチンができていないというのが現状のようです…。

 

✿中世ヨーロッパにおけるペストのパンデミック

ペストはかつて中世の西洋において、2回のパンデミックを引き起こしました。

1回目は6世紀、東ローマ帝国を中心に起こりました。

この頃東ローマ帝国はかつての西ローマ帝国の再征服を目指し、大規模な戦争(ゴート戦争)を継続して行っていましたが、そんな最中にペストが流行したため人口が激減、大混乱に陥ったと言われています。

この流行は200年以上続き、死者は1億人以上とも言われます。

 

2回目は14世紀に生じ、18世紀まで続きました。

これはモンゴル帝国によってユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになった(シルクロード)のに伴い、病原菌を媒介するノミとネズミをヨーロッパにもたらしたことが発端だと言われています。

また同時にこの時代、地球規模の大干ばつやバッタの大発生など凶作や災害が続き、人々の栄養状態が悪かったことも流行を助長したと考えられています。

このペスト大流行は、ヨーロッパの人口の3分の1となる2500万人もの命を奪ったと言われています。

この流行は多くの変化を世界に生みました。

まず、イングランドでは当時通用していたフランス語やラテン語の話者人口が減ったことで英語が主流になっていきました。

また、ペスト感染者にユダヤ教徒が少なかったことから、ユダヤ教徒が井戸に毒を投げ込んだ等のデマが広がりユダヤ教徒が迫害対象になりました。

ペストは祈祷で回避されなかったことから教会組織への幻滅、宗教改革に繋がっていきますし、

逆に教会がペストの原因解明のために死体解剖の許可を与えたことから近代医学の夜明けになっていったとも言われます。

 

最も大きかったのは検疫がはじまったことです。

検疫は英語でquarantineといいますが、これはイタリア語ヴェネツィア方言で40日間という意味の言葉が語源です。

ヴェネツィア共和国では、ペストがオリエントから来た船から広がっていくことに気づき、

船内に感染者がいないことを確認するため疫病の潜伏期間に等しい40日間、疑わしい船を港外に強制的に停泊させるという法律を作りました。これが検疫のはじまりです。

「検疫」は現在でも空港等で行われ、感染症対策の重要な手段として残っているものであることからも、この進歩は非常に画期的だったといえます。

 

 

✿ペストの縮小

1727年、ドブネズミがロシアのボルガ川を東から西へ大集団で移動する現象が観察されました。

この後ヨーロッパにドブネズミが広がり、対してクマネズミがほとんど追い出される現象が生じます。

これ以来ヨーロッパではペストは大きな流行病ではなくなりました。なぜならドブネズミは下水や屋外に住み、ヒトと密接な接触を持たないためです。

 

中世ヨーロッパのペストの恐怖は、ヨーロッパに革新的な変化をもたらしただけでなく、

文化面でも「メメント・モリ(死を思え)」の精神を産んだことで文学・美術などに影響を与えました。

 

✿ペストの再燃

これまでのペストに関しては、人々はなぜこのような病気が起こるのかもわからないまま、ただペストの猛威が過ぎていくのを待つしかありませんでした。

しかし1894年、100年のブランクを経て突然中国でペストの流行が始まります。そしてそれは香港まで到達…

日本まであと一歩というところまでペストがきていました。

 

そこで、日本政府は6人からなるペスト調査団を結成。

そのメンバーの一人は北里柴三郎でした。

 

ペスト調査団は無事香港に到着しましたが、ここで一つ問題が発生します。

それは、ペスト原因を突き止めるために病死者の解剖をしなければならないのですが、中国人にとって死体解剖は死者への冒涜であった、ということです。

つまりおおっぴらに解剖ができません。

そこでペスト調査団は、ペスト患者を葬る墓所の近くの病院の片隅の小屋で、墓所へ運ぶ棺を一度小屋に運び入れて極秘に解剖することで、調査をすすめることにしました。

 

扱う死体は死後数十時間と経過しており、雑菌だらけ、腐敗も進みすぎたようなものばかりだったのですが、

北里柴三郎は「既に原因がわかっている病気と比較し最も似ているものに沿って病気を理解する」という手法で、ペストに挑みました。

結果、炭疽菌に似ていることに気づき、炭疽菌の診断方法ー血液中に菌がいるかどうかーを見るため、血液中を調査したのです。

すると見事に、血液中に入り込む不思議な形の細菌が見つかりました。これがペスト菌でした。

 

病原菌の正体を捉えたことで、研究は飛躍的に進み、

北里柴三郎は消毒方法やネズミのことまで一気に突き止めました。

結果、香港で様々な対処が基いて行われ、ペストは一気に終息していったのです。

 

ただし、北里柴三郎と同時期に、同じ香港で、全く個別にペスト菌を見つけた人がいました。

スイス人のAlexandre Yersinという人です。

エルサンは北里の発見から一週間後に、ペスト菌を見つけ出しました。

 

しかし、この後二人ともが精力的に研究を行っていく中で、

北里柴三郎ペスト菌に関する発見を二転三転させてしまいます。

グラム陽性か陰性かについての主張が、エルサンが「陰性」を報告したのに対し北里は「保留」からの「陽性」、「取り下げ」という過程を経てしまったのです…

このような展開の中で、「北里柴三郎が実際に見つけたのはペスト菌ではなかったのではないか」とか、

ペスト菌の真の発見者はエルサンだ」という主張が大きくなっていき、

最終的に学名は「エルシニア・ペスティス」に…つまり、エルサンの名前しか残らない形になってしまいました。

 

 

しかし1976年、アメリカの研究者によって北里柴三郎が見つけた菌とエルサンが見つけたペスト菌はたしかに同一のものであったこと、

すなわち北里柴三郎が最初の発見者であったことを証明する論文が出されたことで、北里柴三郎の名誉は回復されました。

 

 

 

伝染病が歴史を変え、文化を変えるだけでも凄いことだと思いますが

このような恐ろしい伝染病に、何者か分からなくても挑もうとした人々がいたこと、

それだけでも私は凄いなぁと心から思いますね…

纏まらない思いだけど

先週、アメリカでの研修事業の生徒募集を行っていた。

10人という募集枠に対し、2倍程度の応募があったんだけども、参加申込書を持ってくる生徒は多種多様だ。

色んな背景を持ち、色んな得意さと不得意さを持ち、色んな性格を持ち、色んな想いを抱えた生徒がそれを持ってくるのを受け取るたびに、なんだかとっても胸がいっぱいになった。

それは、きっと人間というものが、挑戦をしようと決意して立ち上がった瞬間に立ち会っているからなんだろうなと思う。

 

今回の、10人の枠に入れるかの確証もないまま、選考で落とされるかもしれないという恐怖を抱えつつ、それでも行ってみたい、という気持ちを押し出して申込書を出すという、その勇気は計り知れないなと私は思う。

一人の子は人目を避けて申込書を貰いに来て、提出するときは手を震わせつつ出してきた。紙には文字がいっぱいいっぱいに書いてあった。

「先生、落ちるかもしれない、けど出してみたいんです。落ちたらどうしよう」とうるんだ目で見つめながら言うので、もうこっちもなんだか胸が痛くなるほどだった。

でも私は迷わず「出してみたいなら出してみよう。落ちたっていいんだよ。やりたいと思った時に、やってみた・行動してみたことに絶対に価値がある。」とその子に伝えた。

「それにさ、受かったら『私はアメリカで学ぶべきことがある!呼ばれてる!』って思えばいいし、落ちたら『私はまだ日本でやるべきことがあるんだ!それからアメリカ行こう!』って思えば良いんだよ!どう?」

「先生、めっちゃポジティブですね…でもそのとおりかもしれません。ポジティブにいきます!取り敢えず頑張ってみたい!!」

すごく吹っ切れた笑顔で帰っていくその子を見て、がんばれー!って心の底から思った。

 

 

なにかに挑戦する人の姿は本当にキラキラいていて、私はそれを生徒にたくさん見させてもらっているなと思っている。

挑戦にも色々ある。

進路を決めるのも挑戦。

今まで目指していたものを変えるのも挑戦。

苦手な科目に取り組んでみようと思い立つのも挑戦。

企画に応募して新たな経験をしようというのも挑戦。

課題研究のテーマを決めるのも挑戦。

部活を決めるのも挑戦。

役員立候補するのも挑戦。

知らない人に話しかけるのも挑戦。

授業で発言してみるのも挑戦。

実は身の回りに沢山たくさん、勇気が要ることってあるよなぁって、生徒の姿を見ているとしみじみ思う。

そしてそれら勇気が要る挑戦に、向き合えない・できないという子もいるし、できなかったけどやってみよう…と向き合い始める子もいるし、さっさと難なく飛び越えていく子もいるし。人によって挑戦への姿勢はさまざまだ。

だけどどの姿も人間らしく、愛おしい。

向き合えないのは、何かが変わるのが怖いからだろう…でもどこかでこれじゃ駄目だって思ってるところに、「その苦しい葛藤に触れられてえらい」って思う。

やってみよう…と恐る恐るその課題に手をつけ始めた子には、「なんとなしにでも、触ってみようと行動を変えられてえらい」って思う。

難なく飛び越えていく子はもはや圧倒でしかないけど…それもえらい。ちょっとうらやましい。

とにかく、どんな生き方をしていたって自分の在り方を模索しているうちはえらいなと思うし、私はそういう生徒の姿を見ながら、いつもたくさん奇跡を見せてもらっているんだろうなって、そういう気持ちになる。

 

 

先生、疲れちゃった、と、なにもできなくなった自分を責める子も時々いる。

私はそういう子を見るたびちょっと胸が苦しい。

挑戦することは本来すごくエネルギーがいるし、勇気もいる。だから、人間、できなくなるときもある。

私なんかも普通に、一生懸命頑張れるとき、沢山の傷を負っても挑戦し続けられるとき、悩み続けられるときもあるけれど、身体や、精神が、いっぱいいっぱいになったら、ちょっと壊れちゃったところでやっぱり限界がくる。なーんにもできない日があって、それを自分も生徒と同じく自責するんだけど…情けない、怠け者だ、って。

でも、生徒を見ていると客観的でいられて、うん、なにもできないときや、逃げたいときっていうのは、それらが必要だから来るんだろうな、っていう気持ちになる。

大抵なにもできなくなっちゃった子、ふっと力が抜けて今まで通りのことできなくなっちゃった子は、そうやって一度まっさらになることが必要だと思われる子だ。

最近思うけれど、人間はナマモノなので、ずっと頑張ってはいられない。特に生徒は、先の見えない不安と戦いながらがむしゃらに、沢山の挑戦を生きているだけで課されて過ごすわけで、そりゃ高校生の無限の体力をもってしても厳しいよね、と思う。

だから私はそういう時は必然なのだ、と思いながら、それでもその子がその時期をちゃんと生き抜けるように、そしてその時期を脱した時にその子が満足行くような自分になれるように、側で必要とされる在り方をしていられる教師でいたいな、教師というか一人間でありたいな、と思う。

 

 

教師ってなんだろうな、という問いは、常に自分の中にあって、

同時に自分が本当になりたかったのは教師なのかな、という問いも、常に自分の中にあるんだけれども、

少なくとも1つ明確なのは、自分は、一人間として、可能性を沢山持っている生徒という立場の立派な人間たちの側で、それらの可能性や成長を潰さず、のびのび育つようにこっそり手入れする仕事は多分好きなんだろうなということだ。

畑の雑草を抜く仕事みたいなものだ。力なくなった時に栄養剤を刺す役みたいな…

これが教師なのかどうかはよくわかんないけれど、伸びる邪魔をしない、本来その子が伸びたい方向への補助をしたい、というのは自分の中の方針としてあるんだろうなというのはわかってきた。それがうまくできているかはまだわからないけれど。

でも同時に、色んな生徒をそのままありのままで受け止めて「そういうのもあるよね」と思ってしまうが故に、所謂「生徒指導」というのが多分できない教師劣等生なんだろうなというのもわかってきてしまった。

課題を出さない生徒にも頑張れない生徒にも「どんな状態だろう」「どんな事情があるんだろう」と思って、他の教員のように頭ごなしに怒れない。

何が最低ライン人生で人と接する際に必要か、というところで生徒と対話する形で指導をしてしまうのは、恐らく教師としては駄目なんだろうな。

 

 

そういう自分の中でも悩みと、生徒の挑戦する姿勢に常にあてられているせいで、最近は自分の在り方について悩む時間が増えてきた。

私はどうしたいんだろう、何になりたいんだろう、何をしたくて、どういう人間になりたいんだろう、ということを悩みながら生きている。

そして、それに対してどう行動すべきだろう、今どう動くべきだろう、とも悶々と思い続けている。

自分の行き着く先は、まだ見えないけれど、こうやって悩み始めたのもきっと「必要」だからだろう。前に進んでいるから、悩むんだろう。そう思いたい。

生徒に恥じぬよう、自分も「挑戦」、していける人間でありたいな。

 

 

纏まってないけれどこれくらいで。