生徒の人生相談を受けた。
自分は教師になりたいと思っているけれど
そうやって親に伝えたらじゃあ教育大学だねと言われた。
でも自分は教師はプロフェッショナルでなければならず
専門的な学問をするにはそこじゃない、もっとレベルの高い国公立だと思っている。
先生はどう思うか?
実際どちらの判断が正しいと思うか?
みたいな相談。
で、私は勿論
教師はその学問のプロフェッショナルとして学問を伝えていくべき存在だから
高校教師という学問専門性の高い職業を選びたいと思っているのであれば尚更
しっかりと学問をできるレベルの高い大学を目指すべきだと思う
と伝えた。
教師は、私が考えるに
教師にやっとこさなるような人がやるものではなく
色んな可能性を秘め色んな経験をし様々な道が拓けているような人の中でも
そういう方向に生徒を導いていこうと思える人がやるような仕事であるのが理想だろうと思っている、とも伝えた。
だから大学に入る時、入った中で学ぶ間は
教師になりたい!と思うのはいいけれど
常にその道を極めたい!と学業に真摯であり、深く探求する人であって欲しい。
その専門性高い知識をもってして、専門性高い経験をもってして
教師を選んでくれたら素晴らしい、と言った。
でも自分がそうやって言っている傍らで
自分は本当にプロフェッショナルなんだろうか?という疑問を感じずにはいられなかった。
自分は…
生物の知識を極めているかといえば、勿論極めきれてなんかいない。
一生懸命勉強はしているけれど、全然足りていない。
知識だけでなく、実技面でも足りていないと思っているし
物理、数学、化学…そういう知識も足りない。
英語も全然大したことない、よくできてはいない。未だにネイティブのリスニングが不完全だし、語彙数も少ない。
プログラミングも中途半端で、極めきれていない。活かせてもいない。
人間としても…まだまだ未成熟で、考え方、振る舞い、経験、何もかもが不足しかないように感じてくる。
こんな人間が教師だ。
こんな人間が教師でいいのか?
教師は、プロフェッショナルじゃないのか?
私は、何のプロフェッショナルなんだろうか?
ちょっと教師という仕事に慣れて
ちょっとだけうまく振る舞えるようになっただけで
中身は全然生徒にとっての教師…素晴らしい教師になんか、なれてないじゃないか。
でも、どれだけそれに焦りを感じたところで、絶望を感じたところで、
一瞬でどうにかなるものなんかじゃないって、
今までのことはどうにもならないし、これからを根気強くどうにかしていかなきゃいけないだけなんだけど
なんだか途方もないし自分のこんなちっぽけな能力で本当の教師という存在になれるのかな、なんて思ったりして…
私が教壇に立っていていいのだろうか、とちょっと考えさせられた人生相談だった。
それでもここで立たなくなる方が無責任だから立つし、
立てる資格があるように努力はするけども。
それでも、ちょっと心がぐさぐさきた。勝手に。
私は何のプロなんだろうな。