最近Twitterで妙に、高校生物に○○を含めるべきだとか、○○のことが浅すぎるとか、そういう類のツイートが盛り上がっているように感じます。もしかしたら私のTLだけかもしれないのですが、そういうツイートが無数にRTされてきて、しかも大抵その発言主は大学で生物学に関係している方ー教員だけでなくポスドクや研究員の方もーであるケースが多いのが私の体感です。
高校生物学について議論がなされるのは別に構わないですし、個人の表現の自由や思想の自由がある上では何をしたって良いとは思うのですが、正直「大学関係」の方が「高校生物学」に言及する時に、ほとんどのツイートにおいて高校の話をしていることが分かっているのか??とかなりの違和感を感じるケースが多いです。で、もやっとします。
もやっとした結果自身も幾つかツイートをしたんですが、これって割と大事な話だし、自分もいつか大事なことを忘れて盲目になってしまう可能性があるよなと思ったので、いい機会だと捉えてここに備忘録代わりに自分の考えを書き留めたいと思います。
ちなみに自分は現在ある高校で生物学を教えている教員の一人です。
- ○○入れるべきの気持ちはとても良く分かる
- だからといって相手を見ずに布教するのは違うのではないか
- 何を基に教えることを決めるべきか
- 現代の高校生物学教科書の問題
- 学問は「簡単」には身につかない
- ついでにもう一言いいですか?
○○入れるべきの気持ちはとても良く分かる
先に宣言しておきますが、自分は「○○を入れるべき」「○○をもっと深く教えるべき」という気持ちはすごくよく分かります。
なんだって無いよりはある方がベターです。それはどんな知識に対しても割と言えることではないかと思います。
何かを専門にしている人にとっては余計に、「あぁ、この人も○○ということを知っていてくれたらいいのに」「○○という視点を持っていたらもっと面白く感じるはずなのに」という、専門家から見える視点特有の物足りなさを相手に感じることはかなりあるでしょう。
基本、知っている人からすると、知識はあればあるほど良いものだと思うものなのです。
だから私も、あれもこれも教えたい、とすごく思います。
だからといって相手を見ずに布教するのは違うのではないか
あれもこれも教えたい、知識はある方がベターだ…と思いながらも、私の場合、常に授業をする時、話をする時には、こういうことを考えるのです。
それは高校生にとって必要か?
高校生にとってプラスになるものか?です。
あえて「生物学の視点」を外して一度考えて、その後生物学の視点を加えて練り直すのが基本です。
というのは、「生物学の視点」だけだと見失いがちな、相手は高校生であるという条件がかき消えてしまうととても教育上困ることが起こりうるからです。*1
ここで確認をしておきたいのですが、高校生物学が相手にする高校生はたかだか18歳、なんと一年生の場合は15歳という驚くほど若く、経験も知識も浅い状態です。時折物凄い知識量で物凄い経験値を持つ高校生もいますが(生物学でも突出している人は時々います)、それはイレギュラーで、大抵は凡庸な高校生ー何に興味があるか、この世にどんな学問があるか、そういうことすらわからない存在を相手にするわけです。
で、高校生ってどんな生活をしているかというと、生物学だけじゃなくて他の教科も学んでるんです。そんな当たり前のことが割と大人の頭からはすっぽ抜けているんじゃないかと時々感じます。高校生は、数学、国語、英語、社会、理科、家庭科、体育、芸術…加えて部活動と、実はすごく沢山のことを初歩の初歩から勉強し、毎日みっちり新たな知識を入れられていく生活を送っています。生物学はメインじゃないんです。あくまで高校生の一部を構成する教科だということを認めなければいけません。私は生物学がすごく好きなので、生物学がまるで世界の中心のように考えてしまいそうになるんですが、それは違うんです。
更に確認を進めますが、高校生は進路が決まっていない場合がほとんどです。それくらい知識がないんです。生物学にどっぷり浸かる道に進むと決まっているわけではなくて、例えば工学に進むかもしれない、例えば文学に進むかもしれない、例えば経済に進むかもしれない…と、そういう状態の人たちに与えられるのが「高校生物学」なのです。
そう、高校生物学は大抵の高校生にとって、生物学をやってきた私達にとっての古典や社会に等しい存在だということを認めなければ、話が進まないのです。
ここで自分たちに立ち返って考えてみるのですが、高校で学んだことはすごく人生を豊かにしてくれます。しかし沢山学んだはずのことの中で、今も印象に残り遺産として蓄積されているのは、わかりやすくて活かしやすい将来の素地になる知識と、思考のプロセスが基本なのです。そうじゃない人もいるかもしれませんが…メインで興味があったわけではない学問に対してはとりたててその傾向が強くなると思われます。
つまり何が言いたいかというと、教える内容を吟味するときには常に、「そこまで必要?」を考えなければならないと個人的には思うのです。*2
高校生という色んな進路に進む可能性を保持した存在、かつまだ経験も浅い存在に、あくまで教育の一部として「生物学」で何を教えるべきか。何を伝えるべきか。どこまで伝えるべきか。どう考えさせるべきか。
このビジョンを持たないと教科書の中身については議論はできないと私は考えています。
何を基に教えることを決めるべきか
じゃあどういうことをどこまで教えるべきなのさ、という気持ちになるわけですが、高校生について本気で考えて高校生には教育としてこういうことをして欲しいっていうのをしっかりまとめた役に立つ参考書があります。それが「学習指導要領」です。
学習指導要領
https://www.mext.go.jp/content/1407073_06_1_2.pdf
学習指導要領解説
学習指導要領では、高校生のプロではないどんな職業の人でも、高校教育に対して考える際にはこういうことを気をつけなきゃいけないな、というデータセットを与えてくれます。高校生物学を議論するなら是非一度は見てから話して欲しいなと思うものです。
ちなみに高校生物(上位科目)の目標は以下の通りです。
高校生物 目標(学習指導要領より引用)
生物や生物現象に関わり,理科の見方・考え方を働かせ,見通しをもって観察,実験を行うことなどを通して,生物や生物現象を科学的に探究するために必要な資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 生物学の基本的な概念や原理・法則の理解を深め,科学的に探究するために必要な観察,実験などに関する基本的な技能を身に付けるようにする。
(2) 観察,実験などを行い,科学的に探究する力を養う。
(3) 生物や生物現象に主体的に関わり,科学的に探究しようとする態度と,生命を尊重し,自然環境の保全に寄与する態度を養う。
つまりは、高校生物学で身に付けさせたいことというのは、まずひとつに思考プロセス、そして生物学を議論できるようになるための言語としての知識の獲得、それらを得た上でどんな道に高校生が進んでいったとしても生物学で得たものを日常生活で反映できる態度なわけですね。
「○○も入れるべき」という主張をする際、これらの目標に見合うものであるかどうかを一度踏みとどまって考えるべきではないかと思います。
更に、議論をする際にはやはり教科書と大学入試問題は見なきゃいけませんよね。現代の教科書と大学入試問題を見ないままに、自分の過去の経験をぼんやり想起して語ってもらっては困るわけです。どちらについてももはや10年前とは大違いのものになっています。
今の高校生物学がどれくらいのことをどれだけの量、どういう風に教えていて、大学入試問題を通じてどういう知識や技能を獲得していることを要求されているかを見てみて欲しいと思います。
現代の高校生物学教科書の問題
今まで述べてきたことを踏まえて教科書内容を吟味したとしても、現代の教科書が完璧なものであるとは個人的には思っていません。
実際世間でも問題点は挙げられており、議論されているのです。
しかしその議論で一番出る議題が、「中身増えすぎ問題」なのです。
分子生物学がかなりの発展を見せた結果、今まで色んな人が「○○を含めるべき」ばかり違う分野から主張してきました。その結果、教科書には多くのことが詰め込まれ過ぎた状態に現在なっており、特に重要語句(覚えなければならない単語)が「見直し」状態に入っているのです。
今回のツイート云々についても、私のTLで見かけたのはほとんど「○○を含めるべき」と主張するツイートばかりでした。内容が浅い、大学生物学と比べて意味がわからない、などなど…
しかし現実は真逆で、増えすぎて困っているのです。削らなければならないし、精選していかねばならないのが高校生物学の現状なのです。
その上で改めて、「○○を含めるべき」ですか?内容を分厚くして、深めるべきでしょうか?
学習指導要領の目的でも確認しましたが、高校生物学の最終目標は思考プロセス、生物学を議論するための言語としての知識の獲得、どんな道に高校生が進んでいったとしても生物学で得たものを日常生活で反映できる態度を高校生に得させることです。
それらを得させるために、現代の教科書のどこかを削る中で、本当に「○○は含めるべき」でしょうか…?
最初に言ったように、今回の発言は大学関係の方からの発信が多い気がしていて、これがまた問題なのです。今までの教科書膨張は、まさに大学関係の方の発言によって起こっているのですから…
生物学は今後も発展し、書きたい内容や知っておいて欲しい内容も一層増えていくことでしょう。しかし、それら全てを網羅するのが高校生物学の目的ではない。*3ミニマムで何を教え、伝え、考えさせたら、上の目的を達成できるのかを、私達は考えて議論していくべきなのです。大学生物学はまた違うでしょう。大学生物学と高校生物学を混同してはいけないし、勿論連続したものではあるけれどある程度の区別された見方が必要なのだと思います。
学問は「簡単」には身につかない
もう一つ最後に付け加えておきたいことは、「学問には時間がかかる」という、ごく当たり前のことです。
専門家の方たちなら余計に分かると思いますが、生物学のある分野の深い知見や思考プロセスは時間をかけて獲得されていくものですよね。
ここで思い出して欲しいのですが、高校生活は3年間です。
最初の方でも挙げた他の教科も教える中で、高校生物学が一週間に高々4時間とれる程度で教えていくんです。
しかもこの時間のうちに、DNAも、細胞も、タンパク質も、なーんの標準概念もないような状態から、分子から生態系・進化・分類までの幅広い知識を持つオールマイティ人間を育てようとしているわけです。授業は全部座学ではなく、実験も勿論入れる状態です。
…こんな短期間でやる内容、精選しなければいけないに決まっていますよね?詰め込んだ所で、「学問には時間がかかる」はずですし身につくわけないですよね?
高校生という貴重な時間の中で、何を教えるべきかは、沢山議論されていかなければならないものだと私は思います。
特に生物学は非常に短期間で変化していくのもあって、それこそ大学生物に向かっていった時になんにも使えないような知識では困りますので、教科書内容は変えていく必要があるでしょう。
しかし、ここまで長々と話してきたように、色んな前提をちゃんと踏まえた上で私達は議論しなければならないと思うわけです。あれも欲しい、これも欲しい、ではだめなのです。ただの文句ではいけないのです。本当に教科書や高校生物学を変えたいのであれば。
それこそ大学に関わる生物学専門の人であれば、教科書を非常に綺麗に彫刻できる能力もあるのではないかと個人的には思っています。量を減らし、いかに本質を教え、目的を実現するか?考えた上であれば、沢山介入していくことで、高校生物学をより良いものにできると信じています。
ちなみに個人的には現在の教科書に対し、量が多い以外で「古典的な素晴らしい実験がコラムに追いやられている」という点が問題だと思っています。DNAが遺伝子の本体であることを証明したグリフィスからの一連の実験は勿論のこと、多くの素晴らしい初期の実験がーそれを通じて生物学的な思考プロセスが豊かに培われると同時に、興味も育てるであろうものがーなぜか教科書から追いやられつつあります。私達教員は勿論、教科書に載っていなくてもコラムでも、それをちゃんと説明しますし、大学入試問題でも問われる形態が依然として続いていますが、生徒からすると「コラム」は「コラム」であってウェイトが軽くなりがちです。可能なら美しい実験はちゃんと教科書に掲載され、堂々教員が解説できるような状態にして欲しいものだと思っています。
ついでにもう一言いいですか?
教科書内容云々については以上なのですが、Twitterでは同時に「高校生物はとる価値がない」とか「物理を選ぶか生物を選ぶか」論争が同時に流れてきておりまして、これについても苦い顔をしています。
これについては、最終的に生物学の研究やりたい生徒に対しても割と物理を勧める傾向にあるのが現状です。時代の流れを見ても、物理が分からないとな…という面が増えすぎている。高校物理は懇切丁寧なので大学で物理独学するより良いという判断です。
ただ、高校生物をとったって勿論よいのです。それこそ懇切丁寧な概念の形成補助がつくし、かつ広い領域に触れられるという特性があります。大学進むとどうしても最近は分子生物学寄りになる所を、高校では進化や分類、生態系という広い分野が生物学にはあることを伝える時間があるので…。
私は高校生物学をとても楽しく面白い(interesting)と思っています。同時に高校物理も魅力があると思っています。結局はどっちをとったっていいんじゃないかと思うわけです。色々考えた上で、どっちをとっても苦労もあるし得もあることを知っているから。
なんやかんや最後は「好きなように」「やりたいように」当該生徒がするのが大事だと思っています。だって選択の権利はあるんだもの。
「大学生になってから生物が楽しいけど、高校生物はよくわからなかった」というツイートも回ってきました。それはそうでしょうね。だって面白いという感覚は、知識や経験の成熟に依存しているものですから。大学生物の面白さが分かった今高校生物の教科書を読んだら、多分高校生の時よりも楽しいはずですよ。そういう「自身の成長」抜きに高校生物を否定されるのはなんだかなぁという気持ちです。
勿論、教える先生の技量にも依りますから、もしかしたら本当に面白くなかったのかも知れないけれど…正直現代の高校生物学の教科書は、(他の教科でも勿論そうだと思うんですが)教える側の知識量や視点…特に後者が本当に面白さや肉付けに直結していて、教員側に豊かな背景がないとうまく面白みが伝えられない構成になってしまっているので仕方ない気もします。私も分子生物学の研究室出身なのに生態系や進化・分類を教える訳ですが、その分野の面白みをちゃんと伝えられているのかは自信がありません。頑張って勉強してるんですけど…それこそ「学問には時間がかかる」ので……
ということで、備忘録でした。*4
*1:オタク文化でも、相手を見定めながら話をしますよね。最初から喋り過ぎたり深い話や複雑な話をしてしまうと嫌悪感を持たれ、布教に失敗します。そういうことです(?)
*2:時にはそんなことを考えずに深く話をしたほうが効果的なこともあります。特に生物学に惚れてもらう場合には…でもそれは相手を見ながらですし、かなり博打になるでしょう。決められた授業時数で決められた学習内容を全部攫わなければならない状況下でその博打を打つかどうかはバランスを見ながら決めねばならんと思うのです。
*3:私は生物学の持つ面白さを余す所なく伝えたい、という気持ちは勿論持っていますが、でもそれが高校生物学の目的じゃないんだ、っていうことも事実なのです。本当の面白さを伝えきることはできないけれど、この不足した状態でもっと面白いことがあるんじゃないか、と生徒が思って、生物学の世界に進んでくれるような授業ができたらなと思っています。
*4:大学サイドの気持ちを全然考えてないような記事になってしまってごめんなさい。正直自分は高校教員なので大学側の気持ちや事情を汲み切ることは、経験の欠如故に恐らくできません。ご指摘は素直に受け止めるつもりなので何かご意見あれば…こういう点が欠けているぞ、みたいなのがあればコメントを是非よろしくお願いいたします。