あいまいまいんの生物学

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生徒との対話で思ったこと

今日は、ある生徒が「謝りたいことがある」と言って私のところにやってきた。

その子は優秀で努力家な女子生徒。

 

「先日の模試で、記述が難しくて空欄にしてしまいました。

あと、生物をとらなきゃいけないのに、間違えて生物基礎をとってしまいました・・・」という内容だった。

 

普段私は、今いる学校の生徒のレベルとして

時間内に全ての問題に触る癖や点数にこだわる姿勢、

そして解答と見比べた時に明確に自己反省の点を洗い出せるようにするためにも、「空欄を作らないようにやってみよう」という指導をしている。(本当はそんな指導したくない、もっとのびのびやらせてあげたいのだけど・・・)

生徒はそのことと、非常に単純な教科選択ミスという間違いをしたことに対して負い目を感じて来たらしい。

 

自己反省できているならいいし、模試の問題が最初から全て解ける訳なんてないことは分かっていて、

むしろ模試は自分の欠点やそういう本番の受験で起こりうるミスを洗い出すためにあるんだから

失敗してもプラスだよ、ということを伝えたのだけれど、その子は途中から泣き出してしまった。

自分はその姿を見て、自分の不甲斐なさや無力さを感じた。

 

 

生徒が人生をより良く生きるためには

「失敗してはいけない」という概念を持たせてはいけないなということをいつも思っている。

人生なんてできないことと失敗することで満ち満ちていて、むしろそれしかないんじゃないかと思うほどだ。

だからこそ、むしろ「失敗してもいいから挑戦してみよう」とか、

「失敗があるのが当たり前だからその失敗とうまく付き合っていこう」とか

そういうことを考えられる人間に育って欲しい。

 

自分が高校生の時、恩師もいつも「挑戦」や「飛び込む」ということの大切さを説いていたことを今でも思い出す。

失敗なんて当たり前、だけど、前のめりに倒れるように意識できれば上等、ということを何度も何度も聞いたものだ。

自分自身、学生の頃積極的にいろんなことができたかというと、決してそうではなかったなと思う。

一個一個の些細な失敗にくよくよしたこともあったし、失敗を恐れて挑戦する足がどうしても踏み出しきれなかった時だってある。

でも「失敗しないこと」で得られるのは何かって考えたとき、それは「平行線の自分」でしかないんだってことに段々気づき始めた。

失敗を避けることで守っている「自分」に価値なんてほとんどなくて

失敗しても成功しても、踏み出しただけで一個多く経験できた自分は少しだけ成長できるんだって今は思っている。

 

どうしても責任感の強い子、特にクラスの中で「優秀」だと位置づけられてしまっている子は

その立ち位置や期待される自分像をなんとか遂行しようとして

保守的になったり傷つきやすくなったりしてしまうような気がする。

でもそんなの本当は勿体なくて、そういう優秀な子ほど、転ぶことや泥だらけになること、

分からないことを分からない、

できないことをできないと認めることに価値を感じられるように教育が向かせてあげなければいけないのではないかな、と思う。

 

 

そう思っているのに、どうしても自分の言葉がうまく紡げない。

論理的に言葉を尽くして、例示して、とやっているうち、その子を泣かせてしまったことが本当に情けないなと思う。

どのように話したら彼女の呪いを解いてあげられたのだろうか。

どのように話したら私の率直な思いが伝わっただろう。

「失敗してもいいんだよ」の一言、たったそれだけを伝えたかったのにやりきれなかった自分。

 

教育って難しい。

適切な言葉がけで、生徒に何かを与えられる教師になりたい。