あいまいまいんの生物学

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続・課題研究って難しいなぁ

1年前にこんな記事を書いた。 

i-my-mine.hatenablog.com

幸い2年生の課題研究も担当させてもらい、そちらも無事に一区切りついたので、

2年間やってみてどうだったかとか、反省とか、考えたこととかをつらつら記録していきたいなと思う。

本当に取り留めもないようなことだったり、繰り返しがくどかったりするかもしれないが、許して欲しい。気の赴くままに、思い出すままに書いているので、仕方ない。

 

取り敢えず本校の2年次の課題研究の流れをざっくりと。

  • 大雑把に化学・物理・生物・数学のどれをやりたいか選びクラス分け(私は生物学のクラスの担当)
  • 自分が興味のあることについて各自調べ学習しデータ収集、それに伴い発生した疑問をテーマ候補として提示、クラス全体の前で個々人がテーマ候補の短いプレゼン→プレゼンを基に近いテーマや興味の人と3~4人のグループを作らせる
  • グループごとに本テーマの決定と研究方法・仮説・必要物資をまとめる
  • 実験を2週間に一回のペースで4時間程度(?)実施、1時間実験→1時間まとめと次への計画→…の繰り返し
  • 実験結果をまとめて要旨の作成
  • 要旨を基にポスターの作成
  • ポスター発表会(1班5分発表、5分意見交換)
  • 日本語論文作成←イマココ

毎週一時間ずつ課題研究や探究活動のための時間がとってあったので、課題研究に関する計画やまとめをやる時間以外は、与えられたプリントを基に統計処理についての学習などを実施した。 

 

中々に長くなったので、タイトル+まとめに飛びやすいように目次を設定しておく。

  

題材設定でうまくいかない

まず、昨年同様やはりテーマ決定が難しい…。

上でも述べたように、今回は調べ学習を生徒にさせて、それを基に各自がテーマ候補を持ち寄る、という方法がとられた。

調べ学習をして自分が興味のある事柄についての先行研究や周辺知識を集めること、そして興味のあることについてどれくらい何が分かっているのかを把握できるのはとても良いことだと思う。やはり調べるという行為は大事だし、今回の課題研究にもプラスに働いた部分が大きいと思う。特に考察と研究テーマの確定には大いに貢献したと感じられた。

ただ数人にとってはこれがうまく機能しきれていない部分があるというのもまた事実で、浅い知識しか集められない者がいたり、素人が書いた信憑性の低いホームページを参考にした者や、所謂こう…「〇〇は害悪だ!」みたいなことを事実を捻じ曲げて断定しに行くようなホームページを参考にした者がいたりした。これらはちょっと、というか割と大問題だ。

浅い知識しか集められなかった者は、まぁ浅いから深めようねというだけなのだけれど、後者は悪影響を受けてしまう。先入観が誇張されてしまって、「〇〇は悪いはずだ」と決めつけたような実験計画をしてしまうのだ。実験というのはそもそも〇〇が悪いものか良い物かを見定めるためにあるはずで、もっと言うと「悪い」とか「良い」なんてぼやっとした言葉じゃなく「▲▲を促進する・抑制する」「□□という反応を引き起こす」などが求めたい結果なのだが、そこから彼らの概念が大幅に脱輪してしまうし中々直すのも難しかった。

ということで、調べ学習を事前にするという場合には、やはり「ファクトの有無」というか、「このホームページが言っていることは信頼に足りるか?」と識別できる眼が必要で、かつ行き着きたい場所…どこまで深い知識が欲しいか、そしてそういうものを調べるにはどういう方法で調べ学習を行えばよいのか(キーワードをどう検索すべきか、どういう情報を信用すべきか)みたいな指導も必要だったのではないかなと思った。思いの外生徒はファクトがない怪しいサイトを信用しがちなんだなというのも感じた。白黒はっきり、良い悪いと表現している辺りが受け入れやすいのだろうか…

加えて、できれば先行研究について調べたならば、その「実験方法」や「使用したもの」も確実に押さえることを強調した方がよかったなと感じた。それらは絶対に課題研究計画に役に立つからだ。生徒は実験目的と結果だけ、考察だけを見がちで調べた紙にもそれしか書いてないパターンが多かったが、かなり損をしていると思う。

ということでまとめる。

まとめ
  • 事前の調べ学習はテーマ決定や考察に良い
  • 調べ学習を行う際には「調べ方」の提示も必要
  • 調べて得る情報として、先行研究の「実験方法」「使用した物」+「結果」「考察」を目標とさせる
  • 素人のページを信頼させない、信頼に足るものか見分ける方法の提示(ファクトの有無を調べ、ファクトとしているものに書いてあることを確かめる。「悪影響」とか「悪いもの」という言い方をしているものは怪しい。信頼に足るページを紹介してその制限内で調べさせる etc…ここについてはもうちょっと考えたい)

特に最後2つについては、経験することで、情報が氾濫しているこの世代ではとても大切な生きる力になるのではないだろうか。

最近COVID-19についても、情報が錯綜し、信頼に足るもの足らないものがデマか本当か分からないような叫び方をお互いされてTwitterなどで猛烈に拡散されているのを見かける。そんな中で生き抜くのにこれら2つのことが可能になるような指導をすることは実はめちゃくちゃ大事なんじゃないか。

 

良い実験が作れない

次は実験計画から実験実施までの話。

やはり今年も…全然成長していないのだが、実験計画や実施についてどこまで管理や口出しをしていいのかが分からなかった。それで呆然としている間に時間だけが過ぎていって、生徒自身で実験計画や実施が繰り返されて行って、貴重な時間が過ぎていってしまったなぁという風に自身では反省している。

まずそもそもの実験計画は、さすがと去年の記憶があるので大抵の班は最初からよくできていたと思う。計画の時に「検証可能か、何を用いて測定できるかを重視して」という声掛けもしたが、それがどれくらい効いたかはよくわからない。

ほとんどの班のものはちゃんと実験可能なもので実現できるものであったが、同時にちょっと挑戦心に欠けるというか、どこかで見たような実験も多かった。テーマが守りに向きがちだったところもあるかもしれない。

一部の班はこれは難しいだろうという困難そうなテーマを出してきた。検証不可能なわけではないが、中々大変な実験セットや準備を要するものだった。

でもできないこともなかったので取り敢えず基本的に全部やってみてもらおう、そしてその後フォローしていけばよいだろう、と思い、全てにGOを出した。

 

今このテーマ決めや最初の実験計画を振り返って思うのは、「どうすればよいテーマになるのだろう」ということだ。いまだにこれは自分の中でも良く分からない。

先ほど「守り」とか「見たことがあるような」と言ったけれども、じゃあそうではない「良いテーマ」とはなんだろうか?

見たことがあるようなものも、発展のさせ方によっては全然今までなされてきたようなものとは違うものになる可能性もある。だからこれを嫌うのもどうかと思う。一方で自分には、こういうテーマを一味違うものに発展させられるような指導ができる技量がないとつくづく感じる。

つまり…自分の中に「いいテーマとは」「発展性があるテーマとは」という概念が欠けていて、高校2年生のレベルでできることで、どんなテーマを立てて、どういう計画を実行すると目を見張るような素晴らしい実験になるのか が無いのだ。悔しいけれど、空っぽだと思う。

他人のを見て「いいテーマだ」「良い実験だ」と思うことはあっても、それを無から生み出させられるような、または生徒の着想を基にそこに発展させてあげられるような技量があれば…と思う。これはもっと考えていかねばならない自分の重大なテーマだろう。

 

そういう指導力がないのと、どこまで手を出してアレンジしていいのかが分からないという二つの要因で、私はほとんどの班の実験実施・結果・振り返りと反省と次回の実験計画…それらに手を加えることがほとんどできなかった。

生徒が提案する計画は所謂「並列型」のようなもので、ただ同じような種類の実験を別の系でやって並べたり、または最初にやった実験を改善したものをもう一度やってみたり、というものばかりだった。

失敗をすることはとても大切なことだし、それをしなければ見えないことは沢山あるので並列型も大事ではある。大事ではあるが、終始並列型では得られるものが少ない。

私はそうではなくて、所謂一つ目の実験の結果を得て、そこから次の知りたいことや調べたいことを着想し、次の実験を計画する…「実験結果から実験を作る」ような発展性のある実験を2年次では行えたらよかったなと反省している。だって沢山時間もあったのだから。

そういう発展型の実験を実際に行い、考察に深みを持たせられたのはほんの一握りの班でしかなかった。

何故一握りの班ではそういうことができたのだろうか?要因を考えてみたが、一つは「私が実験意図や状況・進みを完全に把握していて班長などと良いディスカッションができた」ような班では発展型の実験計画が見られたように思う。そういう班では大抵、「次はどうしたらいいと思いますか」「こういうことが分かったんですが次は~~というのはどうですか」という班長からの働きかけが私にあり、そのおかげで私も把握とディスカッションの時間をとることができた。ディスカッションしていく内に段々と問題点や次に見たい場所が分かってくるし、何より自分が実験の状況や前提を把握しきれていないと発展型に行くためのサポートができないのだろうと今は思う。

全部を知っていることは当たり前の義務なのだが、やはり実際やってみると全部の班の動向や実験状況や結果や考えていることを追うことは難しい。手一杯で、向こうから声を出してくれないとやれない部分が多い。自分の経験不足・力量不足のせいだ。

ということで、

まとめ
  • 「良いテーマ」とはどんなテーマか、何を踏まえて作ると良い実験になるのかを考える必要がある
  • 失敗も大事。だがどういう失敗をさせるかも大事(なんの課題も改善方針も見つけられない失敗にならないように)。どこまで手を加え、どこまで手放しで失敗させ、どこまで並列型実験をやらせるかも考える
  • 発展型の実験をするために必要な目線や心がけは何かを考える必要がある
  • 全ての班の状況を把握・理解しディスカッションする時間をとらないと中々生徒だけで進めていくことは難しいのでこれらができる技量をつける

完全な自己反省しかないな…今後の課題ということで。

 

また、「どうにも失敗ばかりで結果が出ない」という班への対処もちょっと困った。「失敗」と彼らが言うものは、本当に実験デザインを実行する上で失敗して条件を揃えられていなかったものもあるし、同時に「何も結果に差がでない」ことを「失敗」だと言っている場合があるのだ。後者は「失敗」ではない。

ある要素Aがある要素Bを変えると思い込んでいるのはただの思い込みで、AがBに影響するという確証がないから実験をする。実験をしてAがあってもなくてもBが不変なのであれば、それは「AがBを変える」という仮説が間違っているという明らかな「実験成功」である。事実を見出せたんだから、成功に決まっている。

しかし生徒は目に見える差が、変化がないと「失敗だ」と思い込む。失敗だからやり直そうとする。それが本当の失敗ならやり直す価値はあるのだけれど、偽りの失敗ならその結果を受け止めて次の発展させた実験デザインをしなければならない。

私はそういうことを最初あまり分かっておらず、生徒が「失敗したのでやり直します」「失敗したので」「失敗…」と申し出て同じ実験を何度も冗長的にやることを止めることができなかった。本当に「失敗」したのだと思っていた(何なら本物の失敗なのか偽りの失敗なのか見分けられないケースもあった)。これを見逃さなければもっと内容が深まっていくような実験展開を組むこともできただろうという班が多数ある。

 

正直これらの追えない問題などの原因の一つはまとめ方や記録の仕方・提出する情報の指定がなかったこともあるんじゃないかとちょっと思っている。

先に記録方法やまとめ方法についても指導すべきだったし、何をどういう風に書いて提出させるかをしっかり吟味して指定できるようになれば解決するのかも…

まとめ2
  • 生徒が使う「失敗」の意味には二種類あることを踏まえる
  • 「差がない」「変化がない」は「失敗」ではなく「成功」であり、それが正しい結果であると認識させる。仮説が違うのだ。
  • 実験記録や提出する情報を明確に指示・指導し、自分が欲しい情報が確実に手に入る形態を構築するのが必要ぽい

 

考察と結果の分断は思いの外簡単だった

昨年の反省を十分に活かせたなと思ったのは、考察と結果の分断についてだ。

昨年は考察と結果がぐちゃぐちゃになっていて、逐一指摘するのがとても大変だったが、今年はほとんどの班が最初から分断することができていた。

一つは勿論昨年の経験のおかげだろう。経験したからなんとなく結果と考察とはなんぞやという概念が彼らの中でできたのだと思う。

もうひとつ自分ができたのは声掛けだ。

「結果は実験して出てきた事実、見たままのこと。考察はそれらから導き出せる自分の考えや妄想である。自分が持つ他の知識と結果を統合して、こうじゃないかな?と思ったものが考察だ。」

そういう声掛けを結果と考察をまとめるときに一生懸命何度もしたのだが、効いただろうか…

まとめ
  • 結果と考察の分離は声がけと経験次第で可能 

 

考察に関するトラブルあれこれ

結果と考察の分断がほとんどうまくいったとはいえ、それで全てが平和になったわけではなかった。特に考察は沢山のトラブルがあった。

まず一つ目の重いトラブルは、思い込みからの脱却の困難さにあった。ある班は「この物質にはヒトに対する悪影響があるはずだ」という思い込みで実験をした。実験から見られたのは菌の繁殖が濃度依存的に抑えられるという結果だった。

菌の繁殖を抑える仕組みが何かはこの実験からは分からない。例えば原核生物だけが持つ細胞壁形成を阻害する物質なのかもしれない。DNAに結合して遺伝子発現を阻害する物質かもしれない。何に効いてるのかは分からないのだから、ヒトの細胞で同じ実験結果が追試できるとも限らないし、仮にヒトの細胞の増殖が抑えられたからといってそれがイコール悪影響ではない。「なんらかの生命現象を抑制なり促進なりしている」だけなのだ。悪影響ではなくて、ただの影響なのだ。「細胞が増えなくなるのは悪影響じゃないか!」と思うなら、「がん細胞の増殖を抑える場合はあなたはこの影響をどう呼ぶのか?」「菌の繁殖のみをヒト体内で抑える場合はこの影響をどう呼ぶのか?」と問いたい。急に良い影響にすり替えられてしまう。ある効果は使い方次第で悪にも善にもなり、薬にも毒にもなる。だから「悪影響がある」という言葉を分子の挙動において使うのはどうかと思う。

そもそも悪影響という言葉は普通サイエンスではそうそう使わない。というか良識ある科学者は悪影響などというぼんやりした言葉は使わないと個人的には思っている。私達は実験で見られた最小の範囲の影響でしか物を語れない。限定的な話しかできない。促進か抑制か、関係ありかなしか。それだけであって、それが最終的に繋がる先は物凄く壮大なパズルを組んでからしか分からないのだ。

にも関わらず…一般的に「これは身体に良い」「これは身体に悪い」といったような、あまりファクトが信憑性に足るものではないものに根ざした「感覚」だけに基づいた主張はとても多い。ネットにも本にも蔓延っている。それを調べ学習で真に受けた生徒たちは、「悪影響がある」と言い切ることの何がいけないのか分からない。そして、実験の結果から見られたのは菌の繁殖が濃度依存的に抑えられるということだけだったのに、「よってヒトの身体に悪影響を及ぼすと考えられる」と書く。それはこの実験からでは到底言えないことだ。

更に、もう一つの実験では物質の濃度に関わらず対象物は何の変化もなかった。この結果に対して、「実験で用いた物質の濃度が低すぎて悪影響が出なかったのだろう」と考察で書いた。違う。分かることは、「この濃度では何の影響もない」ということだけだ。変化を及ぼさないということしか分からない。調べていない濃度については何が起こるか分からないし、言及もできない。言及するなら、「この濃度以上ならば変化があるかもしれないし、ないかもしれない」ということだけだ。

こういう先入観に則った考察、これが一番厄介で、生徒に何度指摘しても認識を改めてもらうのが難しかった。理解力の問題ではなく、もっと深く根ざしている何かのせいだと感じた。もしくは今までこれで許されてきたという経験のせいかもしれない。何のせいだろうか…。

 

2つ目の重いトラブルは、最初に出てくる考察がかなり浅いということだった。調べた知識や自分が持っている知識を絡めて…と声がけしてもこうだったので、中々難しいようだ。結果から見えるそっくりそのままの考察、なんの当たり障りのない考察しかなく、表面で終わってしまう。その分子基盤として今まで自分が習った分子基盤からどのような仕組みが考えられるだろう?とか、今まで学んだこととどう矛盾が出ないように説明を作れるだろう?とか、そういう所に行かないな。

ここについてはポスターや要旨が提出された時に逐一赤でコメントを入れていくことで基本は対処していったが、最初はどうコメントを書けば伝わるだろうか、というのもかなり悩んだ。

「深めて下さい」というだけでは絶対にできないだろう、というのは分かっていた一方で、「○○のように考えられませんか?」と答えのようなものを言ってしまえば全く思考することなくただ書き写すことになってしまう。あくまで生徒たちの発想力や思考力に委ねつつ、しかし絶対に気づかないような要素を提示しながら、どういう風に考え始めることに誘導すればいいかを考えた。

そうして、「○○(キーワード)について調べてみて下さい。それを絡めた考察ができそうならしてみましょう」とか

「タンパク質などの分子レベルまで考察を深めてみましょう」とか

そういう文言でコメントを書くことで考察が深まらないかとトライしてみた。

これについてはまだあまり手応えはないが、ほとんどの生徒が呼応してちゃんと最初の段階よりも深まった考察を作ってくれたと思う。考察を深めるための声がけについてはより良いものを目指していきたい。

 

ついでに言うと、完全に誤った方向に行っている考察については、的確にそこをコメントして「ここは~~~という理由で~~~と考えることはできないと思います」などと理由をはっきりさせつつ直すようにした。所謂「察して」というようなコメント…「直して」だけとか「おかしい」だけとかだと中々うまくいかないだろうし、生徒も困惑すると思ったからだ。昨年も言ったように思うが、見本がないからうまくできない部分はきっと大きい。生徒が作ったものを土台にしてコメントを通じて見本を少しでも提示することは大事なことなのではないかなと思ったからだ。そのおかげかは分からないが、明らかな誤りは2回目の提出からはほとんどなくなり改善されていた。

まとめ
  • 思い込みからの脱却は難しいが、それを題材に科学に向き合う姿勢や考え方を見つめ直すこともできる。考察が思い込みで構成されている場合は対処する。(ただどう対処するのが適切か・思い込みの根底に何があるのかはよくわからない)
  • 考察を深めるのにも適切な声がけが必要だが、まだ改善の余地あり。
  • 明らかな誤りは理由とともに指摘をする。

 

生物実験の苦悩あれこれ

最後まで消化不良に終わったことの一つに、サンプル数の少なさや試行数の少なさ、それ故の統計処理を用いることができないという歯痒さがあった。

生物はどうしてもサンプル数や試行数が減りがちである。それはもう仕方のないことだと思っている。しかし、課題研究となると生物以外に物理・化学・数学などと並べられるわけで、生物以外の学問分野ならそこそこの試行数やサンプル数を稼ぎ、結果の確実性を高めることが可能になる。逆に生物実験は確実性があまりなく、偶然の結果という解釈が強くなり、場当たり的な結果や考察に終わってしまう面が強い。

つまり、生物実験を選んだ時点でどうしても他の教科に比べて見劣りする部分が出てきてしまう。課題研究の授業内で統計処理についても扱ったが、扱えば扱うほど「高校生が行う課題研究レベルの生物学実験は結果・考察まで断言していいクオリティのものではない」となんだか否定されている気すらしてくる。勿論統計の学習はとても大事で、絶対するべきものだと私は思っているし、学ぶことで生物学実験の難しさも再認識するところがあるし、ではどう解決しようという頭に向く部分もあるだろう。しかし課題研究は生徒たちの成果物として、物化数と一緒に並べられてしまうものだ。同じ時間・同じ苦労を費やすのに、生物を選んだばかりに信憑性を指摘されてしまうのはちょっとかわいそうだと個人的には思ってしまう。

まだ論文が出てきてないから他の分野の状況は分からないが、どんな感じなんだろう…というかそもそも、実験の考察の深さや試行回数などについて担当教員間でそこそこ最低限のコンセンサスを最初にとっておいたほうが良かったのではないか、とちょっと思ったりする。どこまで機能するのかは分からないが…。勿論よくできる班を抑え込む必要はないが、平均的な班の目指す所については共有見解があってもいいと思う。そうすればもっと指導も具体性を持ってできるのではないか、と思ったり…

まとめ
  • 生物の実験は生徒がどれだけ一生懸命やってもサンプル数と試行数がとれない分信憑性や確実性が薄くなったものが仕上がってしまうので悲しい
  • 生物の実験でも統計処理できるような実験とは?
  • 全分野で考察の深さや試行数などのコンセンサスを一応とっておいたほうが良いのではないか

 

手書き問題+デジタルデバイド問題

最後の大きなトピックとして、課題研究の色んな記録や成果物について、どこは手書きで出させるか?どこはパソコンを使わせるのか?というのがあると思う。

今回例えば要旨作成やポスター作成は最初手書きで指示されて、生徒たちはせっせと手書きで頑張っていた。でもそれらは手を加えられコメントを書かれて手直ししなければならないものだ。そういう変化する可能性が十分にあるものは、やはりパソコンを使った方がいいのではないかという気持ちがある。

一方で「じゃあパソコンで」と言い切るとまた問題がある。今回論文は各家庭でパソコンを使いながら全員で書くように、と指示があったが、パソコンが家にない子は困ったものだ。そういう子はどうしようね…生徒を放置するのではなく、色んなパターンを想像して環境を提供してあげられるといいと思う。

また、共有方法についての提案もない。USBなどで提案するよりオンラインストレージを使った方がよっぽど効率がいい。皆で編集できるGoogledocsなどを使えると尚良い。でもそういう指示はなかった。

生徒の後学のためにも、「役に立つツールを使う」とか、「より簡便な方法を模索する」というのは大切なことだと思う。しかし、1から調べるのはやはり大変で、結局私も色んな人から評判を聞いたりする中で役立つツールに出会っていくし、それを繰り返す中でより効果的な方法を自身で見つけ出す力、なんなら「そういうより良いものがあるんじゃないか」と発想し探索することができる力がついたと思う。つまり入り口は提示されてなんぼだと思うのだ。

教員が最新の情報や便利なことに敏感でなければいけないなぁ、と常々思う(反省を滲ませながら)。そしてその意識を今後の世界を生きる生徒たちは持っておくべきだと思う。課題研究を通してそういった必要な力を身に着けさせられたらどれだけ良いだろうか。

まとめ
  • 後から手を加えて変える可能性が多分にあるものに関してはパソコンを使って作成させる方が良い
  • 便利な方法を提示し、生徒が今後自身で「より便利な方法」を模索できる姿勢につなげたい 

 

その他諸々と反省

2年次の課題研究は、幸い生物を選択した生徒たちは非常に優秀というか、しっかり取り組む子が多くて私はとても恵まれていたなと感じる。

最初の班を組む時には生徒は純粋にテーマや興味を基軸に選ぶ子が多く(他のクラスでは仲良しグループなどが主だったという)、初対面同士でも同じ目標のために一生懸命協力して課題研究を計画し、物を持ち寄って実験し、朝早くや夜遅くでも集まってやるべきことをしっかりやり、ポスターの考察の直しは何度突き返されても練って毎回出す度に良くなる班ばかりだった。こんなテーマ実行できるか?と思ったようなテーマも、なんとかやり抜いてしまった班も幾つかあって、そこには私が驚かされた。その底力というか、無謀さというか…でもその力は強力な武器だなと生徒に学ばされた所が多い。班長もしっかりした子が多く、今回の課題研究ではあまり昨年度感じたような煩わしさなく対等な議論が班長を通じてできて、ちゃんと課題研究を構築していっている感が自分にもあって楽しかった。

ポスターが全班から提出されて、それを製本した時に、ある種の感動が私の中にはあった。皆よく頑張ったなと思った。右も左も分からないような手探りな課題研究の中で本当によく頑張ってここまでたどり着いた。生物学という中々思い通りに行かない実験系の中でもがいてよくやりきった。辛辣なコメントもしただろうが、全ての班がよく耐えてしっかり考察を深めてきた。私は生物を選んだ生徒たち全員を褒めてあげたいと心から思った。

 

でも自分は褒められたものじゃない。私は経験もなく技能もないので、上で沢山反省したように適切な声がけや誘導ができなかったり、実験テーマ設定や発展型の実験構築の知識がなくて何の援助もできなかったりと、本当に悔やむことばかり、足りないことに気付かされるばかりだった。この2年間で私が見てきた生徒はまるで私にとってのモルモットで、本来熟達した教員ならできるであろうサポートができず振り回して本当に申し訳なかったと心から思う。

しかし、この2年間の課題研究を通して、自分がどういう指導をしたいとか、どこを課題研究で目指したいとか、そういうものは少し見えた気がする。何が自分にとっての課題で、どういうことを考えなければならないかも、少し分かった気がする。あとは自分の問題だ。自分が頑張るだけだ。自分が頑張って、いつか、生徒とともに自分自身も達成感を感じられるような課題研究をやり遂げてみたい。そう思う。