昨日はふたご座流星群でしたね。
私はベランダで20時半ごろから観察を始めましたが、16個ほど観察することができました。
時間経過に伴ってゆっくりとオリオン座がずれていくのが印象的で、あぁ、本当に自転しているのだなぁと感じました。
他の星々もなんという名前なのだろうと思いながら眺めつつ…
本物を見ることの良さを改めて実感。
流星が出ると本当に嬉しい。物凄い感動があります。
あぁ、あれが彗星のゴミなのだなぁと感慨深い。
原理を知っていると余計に思い入れも強くなります。
観測条件も良好で、非常に素敵な夜でした。
さて、最近NATIONAL GEOGRAPHICで連載されている「研究室に行ってみた。」シリーズを読んで
非常に感銘を受けています。
研究室に行ってみた。アルバータ大学 恐竜と脊椎動物の起源 宮下哲人
ここで紹介されている宮下さんという方のことは、恥ずかしながら今まで存じ上げませんでした。
しかし、その生き様や決断力、能力の高さには本当に尊敬の念を感じます。
特に中学生・高校生の時の行動が印象的です。
同定作業を積極的に行うだけでなく、自ら師に連絡をとり、約束通り様々な障壁を物ともせず単身カナダへ渡ってしまうとは…。
そんな情熱や行動力、のめり込む姿勢が羨ましい。
どうしても保身に走り、「普通」に順する、そんな生き方が日本では「当たり前」になってしまっているところがあると思います。
というより、自分自身がそうやって疑いもなく生きてきてしまったせいで
例えば生徒がそのようなことを言いだした時に戸惑いを覚えてしまうだろうと思う自分が情けない。
なんやかんや言って、自分が歩いた人生
自分が経験したこと
自分の考えがベースにしか教育や指導はできないのが自分の限界値だなと感じています。
「色々なことをやってみよう」と言いつつ、その色々なことに常識という縛りがまだ自分の中のどこかにある気がします。
なにより、「自立して生きられるだけの力を得られるようにしてあげたい」
「自分のやりたいことを見出しのめり込めるような道しるべを一緒に見つけたい」
「人生が少しでも豊かになるような学問・教養をつけてほしい」
そういうことを普段思いながら指導をしているわけですが、
その姿勢こそが本当に自立した生徒や芽のある生徒の限界値を作っているような気がします。
「それでは苦労するよ」「無理があるよ」という自分の言葉が、思案が、一人の天才を遮るのは、正しいのでしょうか。
しかし、本当に天才な者と、無謀な者は、見分けられるのでしょうか。
見分けられないのだとしたら、無謀な者に言葉をかけないことは、無責任ではないでしょうか…
教育はどう在るべきか。
生徒という一人間に接するとき、どういう気構えでいるべきか。
そんなことを常に考えさせられる立場にいますが、今回のこの記事からはより一層考えさせられるものがあるなと思います。