あいまいまいんの生物学

あいまいまいんの生物学

生物学が好き。勉強したり遊んだり。

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生徒に教えられたこと

今日は一日好きなことばかりやっていました。

化学の教材をちみちみ作り・・・

脈絡叢に視交叉上核よりも堅固な概日リズムがあるという記事を読んで論文を漁り・・・

ハニカム構造と黄金比の関係をうんうん言いながら読み・・・

パラディーソの神経科学を読み進めていきなりサソリ毒の話にぶち当たったので他の動物の神経毒についても作用機序を調べ・・・

そしてクラゲの世話をし・・・

乳酸菌がヒト細胞でIgAを作るのを活発にさせることを知り・・・

素数大富豪で遊んで「このゲーム難しいじゃん・・・」ってなり・・・

 

そんな感じ。

 

特に素数大富豪は面白かった。頭痛くなったけど。

素数の知識が2桁は確実に、3桁4桁のものがないとやっていけないゲームですね。

結局、2桁とかで出していくとどんどん1の位に奇数カードを使ってしまうので、

最終的に偶数が残りやすい・・・よっぽど計画的にやらない限り。

また、素因数分解という手段が実は曲者。

指数乗をするときには、素数以外も使えるので、

例えば2^10=1024とかなら沢山使いづらい偶数(10, 4, 2も2枚以上あれば面倒)を消費できる手にもなる。

手札で素数×素数の数を見つければ、素数単発で出すより一気に消費できるから良いではないか!

しかし一方で、なんの考えもなしにやっていくと素数×素数×素数・・・と続ける分素数(大概奇数)の消費が激しく、手札に偶数が残りがち。

とにかく偶数を使える場所がかなり限られていて、奇数は割となんとかなる面があるので、

偶数を使える場面でどれだけ消費をうまくできるか&奇数もなるべく大きな素数値または大きな素因数分解の塊で抜いてこれるか、がコツっぽい。

なんにせよ最初から個々の素数&素因数分解のセットを一気に見通せないと「勝つ」ことは無理そう。

ひとりでやる分には素数さえ見通せればなんとかなる・・・(良くない)。

ただ、素数は無駄に沢山覚えられるなぁと。例えば4567は素数だということを学んで、なるほどこれは使える素数!みたいに偶数が入った素数をめちゃくちゃ印象づけられるようになる。

なんやかんや楽しいからはまってしまっています。

 

 

話は打って変わって。

 

今日、ある生徒が手紙を書いてきてくれました。

その手紙の中には、私が意識的に努力してやってきたこと・・・例えば授業とか、についても触れてあったのですが

私が無意識でやっていたこと、についても触れてありました。

私にとってはそれは驚きでした。

今まで、いろんな生徒にお礼の言葉や手紙、メッセージを貰ったことがありますが

どれも「授業が楽しかった」「生物が好きになった」とかそういう内容ばかりでした。

勿論それらは私にとってはとても嬉しい言葉です。

(ただ、自分の中では「あんな授業でごめんね・・・まだまだだよな・・・という暗い気持ちがつきまとうのですが)

 

しかし、自分が無意識にかけた言葉、自分の考えから出た言葉

無意識にしていた行動に対し、それらに「教えられた」「救われた」とは初めて言われたのです。

生徒からの相談に乗ったり質問に答えたりしたこと、

生徒の様子を見て自然に出た言葉や助言、

自分が授業の裏方で教材作りや勉学に勤しんだこと、色々やってみていたこと、

そんな、意図的ではなく自然とやっていた事たちが、生徒に何かを伝え、

その生徒の中で何かを引き起こすことができていたと知って、

初めて「あぁ、自分は未熟ながらも『教師』であれたのかもしれないな」と実感しました。

その感覚は、嬉しいとか喜びとかそういう物ではなく、なんというか・・・それらを凌駕した感情でした。

 

正直、この3年間、教職をやってきて

自分が何かを教えることなんてできない、

教師は生徒に対して何かを変えたり影響したりなんてできないんだ、と

そんな諦めの気持ち、暗く悲しい気持ちになる出来事ばかりいっぱいありました。

日頃はそんなことばっかりです。

本当にそればかり感じる毎日で、

自分は教師として無力な存在だ、と・・・

何一つ生徒達に生きる力を育むこと、社会に出た時やこの先で困らないような考えをつけることができなかったんだ、と

気持ちが鬱々とする一年を送り、最後は精神を病みかけました。

授業に関しても、中々自分が思うような物が作りきれない。

結果を求められることに自分が焦って、受験用の学習のようになってしまう。

生徒指導・進路指導での不甲斐なさだけでなく、教科指導すらまともにできていなくて

自分が教師という名の通り教えられていることなんてあるのだろうか、と思い悩んだことが何度もあります。

 

でも今回の手紙の御蔭で

自分もほんのひと握りの誰かにとっては、

今まで培ってきた自分という存在そのものが「教師」として

何かを教えることができていたんだな・・・ということに気付かせてくれました。

何かを意図的にすることや、気を張ってすることも勿論大切ではあるし、それらを通じて生徒に色々伝えていく・育むことができればそれは本望ではあるのですが

蓄積の結果としての自分が、所謂「先に生まれた先生」として、生徒に感化することはできるんだな・・・。

私という存在が、何かしら生徒の救いになれたのであれば、人生の一部になれたのであれば、

それは本当に教師冥利に尽きる話であるな、と思ったわけです。

 

「私らしく」走り続けることを、今後もやめないでいこう。そう思う事ができました。

教師と呼ぶに相応しい教師になれるように、今後もがんばろう。

失敗してもいい。うまくいかなくてもいい。前のめって転んで、立ち上がり続ければ、ちゃんと「教師」になれていくはずだから・・・!

そう思わせてくれたここでの出会い、その生徒に心から感謝したいです。