初めてのチームティーチングをやってきました!
倫理と生物のコラボという謎のチームティーチング。
木曜日に偶然の連鎖によって持ち上がりあれよあれよという間にやることになったチームティーチングでしたが、良い経験になりました。
今回のことでそもそもチームティーチングを経験するという良い機会になったし、
同時にチームティーチングする意義とはなにか?
そもそも普段の授業とはどうあるべきものなのか?など、
自分の中ではたくさんのことを考えるきっかけになった、
当たり前だと思って蔑ろにしていた部分を改めて問い直す機会になったなぁと思います。
まずそもそもとして、やることが確定したとき、
「何のためにチームティーチングをするのだろう」ということを深く考えました。
元々倫理において生物学の考えが必要な検討事項が出てくる、
でもそれが真実かただの思いこみなのかを倫理の先生だけでは検討できず解説がなされないままうやむやで終わっている現状がある、
だからそこを事実か誤認かを追求するため、同時にその結果によって倫理のメインストリームで主張する内容を強化するために生物学が必要とされました。
しかしただ解説するぞという安穏な気持ちでいいのか?
チームティーチングってなんのためにあるんだ?
当たり前に生徒の理解を深めるため、でもあるし、
生徒の知識として倫理にも生物にもプラスになるようにするため、
倫理の中の知識、および生物の中の知識がその学術範囲内だけで完結するものではなく、世界のどんな場所でも通用するものだと気づいて貰うため、
自分が知っている知識が思わぬところで武器として使えることを知ってもらうため…。
これらの目的を満たすためにチームティーチングという授業が組まれるべきであって、
もし自分が介入することになって元の授業よりもクオリティが低くなったり理解度が低くなるのであればチームティーチングはすべきでない。
ちゃんと価値が創出できるような授業であらねばならない、ということを強く感じました。
上の全てを満たせるようなものを目指して授業を組めるように、とプリントやスライド、解説の流れも試行錯誤して作りました。
授業時間内に綺麗にまとまるようにするにはどうしたらよいか?
ただの解説型がいいのか、アクティビティー型がいいのか?とられる時間は如何ほどか?
どこまで解説や準備をしておけばスムーズなアクティビティーに繋がるか?
生徒の中でわかったという実感が生まれる解説の深さやアクティビティー量はどれほどか?
生物が倫理メインの授業においてメインストリームを失わずに占有して良い時間はどれほどの長さか?また、メインストリームに意識をちゃんと残したまま生物学的理由の検討を行うようにするにはどのように話して授業進行していけばよいか?
そもそもこのアクティビティーに取り組むときの大前提、大目標を何として掲げようか?
などなど…
何度も何度もシュミレーションして、実際に自分の手を動かして何パターンも考えて、
最適なものを生み出せるようにとかなりの心血を注ぎました。
結果としては、今の自分の最大限ができたのではないかなと思う反面、
まだまだ改善の余地がたっぷり残るチームティーチングだったなぁと思います。
まず第一に準備時間が短く全然打ち合わせができなかったので、向こう側の導入や運びをほとんど流れ程度の打ち合わせしかできませんでした。
そのため重複部分が出てしまい流れとして少し不格好な部分が出てしまったかなという気がします。
やはりチームティーチングであるからには、チームとして統率がしっかりとれていなければいけません。
行き当たりばったりではなく事前の打ち合わせを綿密に行ってやれると良かったなと一つ思います。今回は時間がなかったので仕方ないことでもありますが、良い勉強になりました。
また、より一層の探究心や疑問に繋がるような発展性の余地を残せたかと言われると微妙です。私が考えた最も浅い部分で完結してしまった気がします。
本当は完結しないんだよ、もっと奥に進める扉がここにあるんだよ、ということをどことなくでも伝えられる授業にできたら良かったです。
他にも時間配分への悔いや、生徒のアクティビティーをどう活かすかなどなど、まだまだ余地だらけ…
ですが、授業を見に来てくださった先生方や生徒は面白かったと好評で、
新たな視点が得られたとか、
そう繋がるんだと思ったとか、
自分の力でも深く検討できる、研究できるんだと思ったとか、
そんな感想を頂きました。
温かい目で見守っていただけて幸せです。
自分の普段の授業も、なんだか慣れてきて目先の楽さやただの繰り返しになってしまっている面が無きにしもあらずでしたが
それではいけないなということを今回感じさせられました。
一個一個の授業は常に生徒のためにあるのであり、
生徒の理解を深めるため、
生徒の疑問を深めるため、
生徒の興味を深めるため、
そして他の教科や世界との繋がりを感じられるものであるのが好ましいものなのです。
どのような授業形態をとるべきか?講義か?ディスカッションか?アクティビティーか?演示か?実験か?生徒主体発表か?実物か?
どのような導入をどこまで与えるべきか?
どこから考えさせるべきか?
どのような発問をすべきか?
どのような情報まで見せるか?
どのような活用まで気付かせるか?
どの本旨は見失わせないように肉付けするか、すなわち最も伝えたい主軸はなにか??
こういったことを常に考えながら、一個一個の授業は構成されるべきもの。
そのことを意識して、今後も授業改善に努めたいと思いますし
一層「自分の授業で何を可能にしたいか」を考えながら、色々な可能性にチャレンジしていきたいと思います。
ということで、初チームティーチング終わり!
そして試験前の授業も今日で終わり、
非常にハードな毎日も一旦終焉です。
毎日毎日5連続だの6連続だのぎちぎち詰まった日程からの出張だのと、
本当に辛いスケジュールばかり続いてきて、
自分の感覚では「なんとかなるだろう」という感じだったのですが実際やってみるとどんどん疲れが蓄積し、
精神的に摩耗していくのを身をもって体感しました。
もう本当に辛くなりました…
一個一個の授業を大事にするどころか、どこか消化試合のように気持ちが入り切らなくなるし
毎日学校に行くのが億劫になるのに気持ちがそぞろなまま一日が消費されていく。
次はなんだ、次はなんだと今よりも次ばっかりが気になって何も手につかない状態になるし、
そんな気持ちの使い方をしているせいで精神が麻痺して何も考えられなくなる。
舌もどんどん回らなくなり
自分がどんな言い回しをしているのかわからなくなり
挙げ句授業の構成が雑になり
生徒が質問に来ると今までは楽しく受けれていたのに、どこかで苦しさを感じるようになっていて…
何よりも自分を労る方法が全くわからなくなる、というのが辛いところでした。
家に帰って「よくがんばったな」と思っても何かしたいという気力が沸かないのです。
美味しいものを食べようとか、美味しい珈琲を飲もうとか、
そういう欲求すら沸かないで明日を案じるばかり。
楽しいことも楽しいと感じられず疲れを感じたり…
それらがとても辛く感じました。
それが最大値に達した今日見たツイートがこれ。
ちょっと前に、大ベテランでとても力ある教員が「毎日あくせく忙しいと授業で根源的な問いを問えなくなる」と仰ったのよね。これはほんとその通りだと思った。くっそ忙しいと、つい、授業をなんとか乗り切る、流すことが目的化してしまう。何のために授業しているかがおざなりになる。教員も生徒も。
— MER (@MathEdr) November 26, 2018
深く共感する内容でした。
なんでもそうなのですが、やっぱり一番大事なのって、
心の余裕だと思います。
心に余裕があれば、精神的に豊かであれば、色んなことを考え、やってみようと試し、一層勉強し、ってことができる。所謂脇目をたくさんふれる状態だと思うんです。
でも余裕がなければ、いっぱいいっぱいで、何かに気づくことすらできない。脇目がふれないんですよね。
今回非常に険しい日程を過ごしたことで、これを強く体感したなぁと感じると同時に、
余裕は大事にしたいなぁと思いました。
自分の心の余裕の作り方を、学んでいかなければ生きていかれませんね。
なんだか今までのこの忙しかった期間、本当に無駄にしてしまった時間だったなと後悔ばかり感じるので、
これ以上人生を無駄にしないように、楽しいことを楽しくやっていけるように生きる術を身に着けたいです。
で、今は元気になってきました。
終わったから開放感があるんだろうなぁ。
頭がすっきりして、あれもやりたい、これも工夫したい、こういう内容も盛り込みたい、もっと勉強したいという気持ちでいっぱい!
うんうん、これが本来の自分だぞ。
つまんない人間にならないように、余裕を大事にしていこう。
P.S.
種が食べたいなーって思ってたら
ある人からマクロビ派ビスケットをもらった。わーい!
なんなら甘栗も食べたい。焼き芋も。食べなきゃ…!!