ノーベル賞の発表来ましたね。
まさかの医学・生理学賞も物理学賞も化学賞も生物系という・・・驚き!
ノーベル賞を受けて、急いで生物広報を書かせて頂きました。
化学の分と、医学・生理学の分。
日本人云々ではなく、ちゃんとどんな内容で誰がどういう研究をしたのかに注目した内容にしました。
Scienceに国境は関係ないぞ!
と、私は割とノーベル賞を大事にしています。
それは実は自分が高校生の時のある出来事がきっかけです。
なんにも知らないまま普通に生活していました。
そんな時、授業が始まって最初に「ノーベル賞はチェックした?当然だよね?」と言われて、
えっ・・・と、大変衝撃を受けたのです。
チェックしていない自分を恥ずかしく、情けなく、無知だなぁとつくづく感じました。
そういう記憶がとても強く印象に残っていて、だからそれ以降はノーベル賞をチェックするようになったんですよね。
高校生の時に色んな新しい当たり前や常識に出会って、
自分がその当たり前や常識を持っていないことを恥じて・・・
それで自分の中にその当たり前や常識が取り込まれていって、
そうして知らないうちに成長して立派になっていっている というのが高校生なのかなぁ なんて思ったりします。
まだまだ知らないことばっかりでいいんだよね。
知らないことばかりでいいけれど、その分出会った新たな物に対して真摯に受け止めていかなければならない。
そう思うんです。
だからこそ私は高校生と接する中で、色々な物に出会わせることを大事にしたいなぁと思っています。
今回のノーベル賞も、すべてのクラスの授業で「勿論ノーベル賞チェックしたよね?」と
かつて私が言われたように問いかけてきました。
これで何かが変わる子が一人でもいたら、
そしてその変化がその子にとってこの先の人生で少しでもプラスになるのであれば、これ以上のことはないなぁと思います。
自分が授業で教えたことのメインのことはまだしも
サブで話したことを案外生徒はしっかりキャッチしてくれているんだなぁというのを最近感じる機会が多くありました。
例えばこの前は、突然体育の先生が私のもとに「先生、水中毒って何?」と聞きにきました。
なぜ急に?と思いつつ答え、「なぜ聞いてきたんですか?」と問いかけると、
保健の授業で現在生徒同士の発表会をやっていて、
発表したあるグループは発表中に「水中毒」というキーワードを出したのだそうです。
それで、先生がそんな言葉どこで聞いたの?と問いかけたら、「○○先生が授業で言っていた」と
私の名前を出したのだそうで・・・
水中毒の話は確かにしました。でもだいぶ前で、かつ非常にさらっと話した気がします。
少なくとも授業の本筋ではないかな・・・
でもそんなことをしっかり覚えて記憶してくれていたんだ、と思い
ちょっとうれしくなりました。
他にも授業中に触れた話題についてあとで質問に来て細かい質問をしてくれたり自分の意見を述べてくれたりする生徒や、
なんとT2ファージの模型を作ってきてくれた生徒もいました!
これには驚きました。
やはり出会いは大事にしたいなぁ。
わが校は11月には類型選択がありまして
生物はどれくらい選ばれるのかなぁと少し不安な気持ちで実はいます。
受験で言ったら普通は物理だもんね・・・。
あと最近は理科部に力を入れられるようになってきました。
これは自分がやりたかったことなので、個人的には嬉しい変化です。
実験を進めさせるって、それはそれで大変なんだなぁと感じています。
そりゃ最初からスルッとできる人なんていない(指導側も)と思うけれど、もどかしい。
恩師は本当にすごかったんだなぁ。
恩師の発表指導、研究指導、授業・・・どれをとっても私には全然追いつけないものばかりです。
当たり前のように恩師の指導が受けられたことは、本当に光栄だったのだなぁとしみじみ感じています。
逆に今私が指導している子たちには申し訳なさも感じます。違う先生だったら・・・と思わないでもなくて。
でも自分が頑張って指導力をつけて、今見ている生徒たちに後悔ない高校生活を送ってほしい。
プログラミングは毎日書くように続けています。
この前初めてコンテストでC問題を時間内にACすることができました。
人の手を借りたので完璧に自力で、という訳ではない分ちょっと複雑ですが・・・。
今度は完全自力でACしたいなぁ。
細かなテクニックやアルゴリズムの勉強はたどたどしくもやれる時に進めています。
もっとテンポよく毎日やりたいものだけど、中々疲れちゃって駄目です。
うまくやりくりしたいなぁ。
神経科学の勉強も進めています。物理が最近滞っているのでそれは辛いです。
再開したいけど今はプログラミングも高めたい・・・という気持ち。
色々やりたいことがあるけど、時間は有限です。
やってくぞー!