昨今話題になっている「課題研究」。
猫も杓子も課題研究をやれと皆躍起になっているなぁという感がある。一種の流行りというか…
我が校も御多分に漏れず課題研究を1年生の段階からやっているのであれが
これがまたどうも難しいなぁという苦い気持ちで見守っている。
我が校の1年生の課題研究は
「とりあえずやってみることで経験をさせましょう」
「一回やったことを反省させることで2年次により良い課題研究や論理的思考ができるように育てましょう」
という方針で行っている。
そのため1クラスで5班構成するのだが
そのうちの3班が物理、2班が生物で自由にテーマややり方を決めて取り組んでいく。
各クラスの物理または生物の教科担当が彼らの指導役や助言役としてつくが、出過ぎた真似はしてはいけないという決まりだ。目標が目標なので、最初から上手くいかせてもいけないし、自分たちで気づかせられるようにもっていかなければならないのだという。
だから「なるべく手を出さない」…これを守りながら、
課題研究のテーマ決め、予備実験、本実験そしてまとめレポート作成までを今まで見守ってきて、それで感じたのがやはり「難しいなぁ」ということだ。
まずテーマ決め。これが本当に難しい。ここで全てが決まってしまうと言っても過言ではない。
彼らは課題研究に相応しいテーマというものが何たるかというのをわかっていない。具体的なイメージもないため、
「教科書や図説を参考に」と言われると
言われたとおりに教科書や図説からのみ題材を探してこようとする。
教科書に載っている物「しか」目に映らないし、
研究の内容を考える時も手法すら教科書に載っているもの「しか」ない。
だから「こういうことが疑問だからこれを調べてみたい」
「それを調べるにはどういう方法をとるのが『適切』か?」という視点がないので、
やたら難しい内容、実現できっこない内容、
何も真理を追求できないような実験方法、これらに落ちてくる班ばかりだった。
中にはキメラマウスなんて言い出す班もいたりする。
要するに生物学になぜモデル生物なるものがあるのかが分かっていない(まぁ、こういう実際に考えたりやったりする過程を通して、モデル生物の有り難みやなぜそんな名前や括りがあるのかという意味にたどり着けるというものでもあるので完全に無駄な経験ではないけれど…)。
で、結局実験アイディアを持ってくるのは班長なので、班長との一対一で話さなければいけなくなる。
これできると思う?なぜやりたいの?何をやりたいの?
それを班長が持って帰り、班員にフィードバックしたところで、その班長の伝達能力の高さによって次に戻ってくる再提出のクオリティが全然違う。
何度言っても伝わらない班長や班もあるので、どうしようもなくなってしまう…
ちなみに、直す時にはこのようにアドバイスした。
1 まず教科書は見なくていいし図説からも離れよう
2 題材は手に入れやすいもの、飼育や維持がしやすいもの、成長段階が揃えやすいものにしよう(だって対照実験組むの大変だよ?)
3 検証可能なことを調べる対象にしよう(例えば二酸化炭素濃度の変化は多分検出できない。でもヨウ素でんぷん反応なら検出できる。こんな風に調べたいことは検出できる方法から考えて実現可能性を検討する)
4 自分の身近なもので今まで見てきて不思議だなとか、こうならないのかなとか、そういう「違和感」を感じたことを引っ張り出そう。食品とか、道端の植物とか、眺めていて少しでも気持ちに触ったものがあればそれは良い。もしそういうものがなければ、当たり前だと思っているものが変わったらどうなるのかを調べる対象にしよう。例えばりんごを塩水に切ったらつけるけど、それを変えたらどうなるの?とか。
これで大抵の班は割とうまくいったかな?という気がする。勿論高尚でこちらが息を飲むようなエレガントで素晴らしい研究アイディアなんて出てこないけど…とりあえず課題研究としては良い内容になったのではないかと思う。
ここのアドバイスというか、課題設定時にどのようにテーマ決めに導くかというのは、かなりコツがいるのだと思うので、模索する必要があるなぁという感じだ。
今回のアドバイス項目でも悪い訳ではないとは思うけど、とても良い訳でもない。そもそも私がどこに持っていきたいという明確な基準?目標値?がなければその道標も見つからないわけで、まずはそこからか、という気持ちだ。
次に予備実験と本実験だ。
まず器具の予測が本当に難しいなぁという、それに尽きる。
本当にどの班も実際やるときになって初めて「あっ、これが必要だった」「これじゃ駄目じゃん」「結果出ない…」と予備実験で散々に打ちのめされていた。
今回の予備実験ではある程度の実験器具を多めに出しておいたのでなんとか回ったが、最初から厳密に言われたものだけ用意していてはやれなかっただろう。
そこに加えて評価の難しさといったらもう…
指示する者、よく動くもの、言われたら動くもの、完璧に傍観する者。色んなタイプがいる。どれが評価されどれが評価されぬべき者なのか?そこそこ自分で考えそこそこ動いている人間は、実は大体班でのチームワークがよく班全員がそれだったりする。その場合誰を評価するのか??
班単位で見れば4番目でも、別の班のメンバーと比べたらよっぽど評価対象になるような子は評価するのかしないのか?何を基準に評価するのか?これが分からない。つらい。
そしてどこまで助言していいのかという塩梅も全然分からない。
基本放置でやってみたが、本当にこれで良かったのだろうかと思う。
更に、自分の負担も半端なかった。
生物実験は日を跨ぐものが多いので、毎朝毎朝早い時間に行って生徒に付き合わなければいけなかった。これが辛かった。
そもそも生物の課題実験を一時間の本実験で組もうとしていること自体が間違いなのであって…
だとすると最初から生物の課題実験なんて組むなという話だし、
生物を組むなら組むで長期の担当教員の犠牲を見てみぬフリするのはどうなのか?最初から考慮に入れないのか?という…
最後にレポート。
考察にどこまで手を出しましょうかという話である。
実際見ていて思ったことは沢山あって、
・これ本当に結果出てる?(染まってる?反応してる?)
・これ有意差ある?
・なんでこんなことになるの?
・この操作の時点で最初の目的は測れなくなっている気がするけど大丈夫?
・この結果からこれだけしか考察しなかったの?
・これも分かるんじゃない?
・どうしてここをもっと考察しなかったの?
・どうしてここを考察するときにネットで調べたりしなかったの?
・考察のレベルが浅すぎない?
・これは考察じゃなくて結果を言ってるだけでしょ?
・なぜ「失敗」と切り捨てるの?考察しないの?
・「失敗」ということはそこで変えた変数が本来出るはずの結果を変えたってことなんだから凄いヒントになってて深い考察ができるはずなのに…
などなど…
もうなんと言えばいいのやらだし、
どこまでやればいいのやらだし。
どうやって指導すればいいのかも分からないし、
かといって今回は「経験」がメインだから考察には口出ししないようにされているし。
これってどうしたもんかなぁ。
でも、この考察やレポートを放っておいたところで、彼らに成長はあるのだろうか。
私はよく教授から「優秀なものを手本にしなさい」と言われてきて、
優秀なものの考察や論理を学んできたが、
彼らにはその過程がないのではないか。つまり我々が「優秀なお手本」を与えないままに好き勝手にやらせているだけではないのか。何かに近づけよう、こういう風にやろうという終着点がないまま手探りで頑張るからこうなるのではないのか…。
だとしたら優秀なお手本を探して全生徒に公表する?それはアリだと思う。
なんなら全ての班の実験の考察を教員がやってみせたものを提示して次回の実験時には頑張れと言ってみる?これも面白そうではあるが、またまたこちらの負担が半端ないことになりそうだ。でも一番効果的だろうなと思う。
もっというと実験設定から何が駄目だったかとか本当はとことん議論すべきだろう。教員と生徒たちで。でもそんな時間ないもんな。
と、まぁこんなことを思ったりした。
1年生だから2年生に期待かなぁ、なんて思った。
が、先日2年生の研究発表会が行われたのだが、
行った先生が口々に「駄目だ…」と言う。やっぱりうまくいっていないのだ。
なんでそうなる。
特に数学の課題研究が駄目だという。研究できていない、と。
そもそも数学の先生が研究を見れる能力もないし…という声も聞こえてくる。
うーん、じゃあ一体どうすればいいんだろう。何を変えたら?どういうことをしたら?課題研究は皆が理想とする「課題研究」になるんだろう。
生徒はいつまでモルモットしなきゃいけないんだろう。こんなに色んな学校、色んな世代、色んな人が取り組んでもまだモルモットで、確実な力を身に着けさせて貰えることもできず、「まぁ今よりはちょっと学んだ自分になれるから」と行き先もない役に立つか分からない能力を育てられているような雰囲気に置かれているだけだ。
そんなのでいいのだろうか。
そんなので。
どうやっていったらいいんだろうなぁ…