あいまいまいんの生物学

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共通テスト生物基礎・生物 我流味わい道

共通テストの「問題」、味わってますか????

共通テストを「懐かしく自分語りし、受験生を応援するだけのイベント」で終わっていませんか???????

 

せっかくなのだから……

共通テストの「問題」を味わうという行為も取り入れてみませんか?????

 

 

ということで今回の記事では、

「問題」の味わい方を知ってもらうことで、共通テストを存分に満喫できる足がかりにしてもらう

ということを目標に、自分なりの「味わい道」を紹介していけたらなと思います。

でも、自分は共通テスト全部の楽しみ方は語れないので、あくまで生物基礎・生物の話に限定したいと思います。

 

 

味わい道① 問題というものは「意図」の上にあると考えよう

共通テストに限らず、多くの問題は何かしらの考えを伴って作られています。

例えば何を考えているのでしょうか?

  • こういう知識や能力がちゃんとついているか確認してやろう(測定)
  • これは大事だから絶対身についていてほしい(強調)
  • 知識を正しく運用できると面白いものが見えるから、皆も体験してほしい(感動のシェア)
  • こんな面白い事象があると知ってほしい(事象のシェア)

などなど……ざっとあげただけなので、これがすべてではありませんが、例としてこういう気持ちがあると思って頂ければよいかと思います。

各問題を見た時に、どのタイプの思考を基に出題されているか考えるだけでも、ちょっと面白いです。

 

ですが、ちょっと待ってください。

共通テストって、誰の思考や制約が絡むんですか?

答えは、

  • 文部科学省(どういう教育をしたい、どういう人間を育てたいか を国レベルで設定する大元)
  • 共通テスト作成方針(どういう能力を測りたいか、どういう問題を作るか を共通テストに関して決定する大元)
  • 作問者

などが想定されますね。これらが絡みに絡んで練り上がって生まれてくるのが、共通テストの問題という結晶なのです。

ならば、それぞれが何を考えているか想像すると、より一層面白くなりそうです。

 

文部科学省の思いを妄想しよう

まずは文科省の考えに思いを馳せてみましょう。

文科省は受験生に対して何を望んでいるのでしょうか?……生物基礎・生物で教えた内容がすべてバッチリ入っていて、論理的思考力もできて、実験能力もあって、データ分析や処理の能力もあって、サイエンスへの姿勢(疑う・研究する・学ぶ)もしっかり出来上がっていて……色々思い浮かびますね。

もっと詳しく知りたければ、学習指導要領を見ればすべて書き出されていますが、今回はそういうことはちょっと置いておいて。

 

もうちょっと俗的な考え方をしてみましょう。

「今の時代、大学生になりそうな人たちに文科省が望むものは沢山あるだろうけれど、最低限押さえたい・国として強調したいところってなんだろう?」と妄想してみるのです。そう、あくまで妄想です。

妄想ですので、皆さんそれぞれでこれは答えが違っていい。

けれど私個人の考えをここで述べさせていただくと、

  • 生態系(生物多様性外来生物地球温暖化etc)の問題がかなり盛り上がっていて世界的にも重要なので、それらに対する正しい知識を身に着けてほしい
  • 生活習慣病が増えたり、長寿化と核家族化によってセルフケアの観念はより一層重要になってくるのだから、個々の国民が自分の身体の面倒は見られるor適切に判断して健康増進していけるように肉体関係の知識は押さえてほしい
    • 特に最近はコロナのことがあり、感染症拡大を防ぐには免疫の知識が重要なので、免疫関係の知識はしっかり身につけてほしい
  • 理系で生物の研究に関わる人間であれば、分子生物学が絡むのは避けることのできないほぼ確定事項なので、バイオテクノロジーの知識を身に着けて研究発展に貢献してほしい

とか……どうですか???思ってそうな気しませんか???(何度も言いますが、全分野全内容大事ですよ!)

 

そう考えているのかいないのかはわかりませんが、今年度の生物基礎では大きなテーマが3つある中で内2つが免疫、生態系となっています。生物でもバイオテクノロジーが出題されています。

まぁ、本当はネタバラシすると、生物基礎に関しては大きな分野が

  • 細胞・遺伝子・タンパク質・代謝
  • 体内環境
  • 生態系

というふうにもともと括りが大きく3つあって、教科書からバランスよく出題しようとするとどうしたって大問3つに各々が振り分けられるんで、文科省の思いとか関係なく1問は体内環境、1問は生態系になる可能性がかなり高いんですけどね……笑

そうだとしても、自分で勝手に妄想して、出題された問題の題材や分野から「やっぱりこう思ってるのかも!?」と思うのは単純に楽しい。ので、皆さんも是非想像した上で解くなり、解いて何かを勝手に読み取るなりしてもらえたらと思います。

 

 

共通テスト作成方針を頭の片隅に置こう

文科省については完全な妄想でしたが、共通テストの狙いについてはちゃんと公言がなされていますので、割と真面目に考察も行うことができます。

例えば令和4年度共通テストについては下のリンクで問題作成方針が閲覧できますし……

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm00038405.pdf

試行調査のときの資料を見ると、作問のねらいのイメージを確認することができます。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00037133.pdf&n=08%E3%80%90%E7%90%86%E7%A7%91%E3%80%91%E8%B3%87%E8%B3%AA%E3%83%BB%E8%83%BD%E5%8A%9B%E8%A1%A8.pdf

 

全部に目をいきなり通せと言われても大変だろうということで、取り敢えず一番ダイレクトなタイトルがついている「令和4年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト問題作成方針」の方(1個目の資料)を見ていきましょう。

 

見ていただくと分かるように、最初の方はアタリマエのことが書いてあります。

高校での基礎的な学習の達成の程度を判定し、大学教育に必要な能力があるかどうか確認するのが目的ですよ、とか……

そのために大学教育の基礎力たりうるような知識・技能、思考力、判断力、表現力を問いますよ、とか……。

ですが、途中かなり面白いことが書いてあります。

「どのように学ぶか」を踏まえた問題の場面設定
高等学校における「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善のメッセージ性も考慮し,授業において生徒が学習する場面や,社会生活や日常生活の中から課題を発見し解決方法を構想する場面,資料やデータ等を基に考察する場面など,学習の過程を意識した問題の場面設定を重視する。

独立行政法人大学入試センター 「令和4年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト問題作成方針」https://www.dnc.ac.jp/albums/abm00038405.pdf p.2より引用

ということは、

共通テストの問題では、授業で生徒が学習する場面や、普段生活する中で課題を見つけた時、資料やデータを基に考察する場面など、

こういう場面があったらいいな、こういう場面でこう動けるのが「理想」だな、というものが表現されている、ということです!

つまりは、良い授業(主体的・対話的で深い学びが実現された授業)を受けたような模範的生徒であったら、どういう場面で何を思い、どう動いてほしいかー

どんな疑問を持ち、どういう取り組み方をし、どういう思考の進め方をしてほしいのか、そんな理想や願いが、問題から見えてくるというんですよ!面白いと思いませんか?

そんな目線で問題を見ると、「あぁ、模範生だ!」と思えるようになると思います。こういう同級生いたよな、とか思う人もいるだろうし、そんなことまで考えなかったな、と思う人もいるでしょう。

そんなふうに、問題=理想の生徒 として見ると、急にただの問題文が生き生きとしだすんです!と私は勝手に思っています!!!!!!!

 

じゃあどんなのが模範生なんでしょう?これもまた個人的に読み取ったものを挙げていくと、

  • 科学に対する望ましい姿勢(○○だ、と断言されても疑う姿勢を持つ、自分たちで確からしい情報を集める&実験を参照し解釈する、飛躍した論理ではなく論理的な思考の末に結論を出す(または出せないことを判断する))を持っている
  • 初見のグラフや表などを適切に読み解く能力を持っている
    • 特に多段階情報の処理or複数情報の並行処理ができる
  • 知識を身に着けているだけでなくそれを武器として用いて考察を押し進めることができる
  • 自分たちである仮説の真偽を確かめるための実験計画ができ、それを実行することができるほどの実験or手法への理解がある
  • 議論を冷静に進めることができる(相手との会話を通して自身の理解を進めることができる)
  • 授業内容含め色んな身の回りの物事に興味を持ち、課題を自ら見出だせる

などを満たす人かと思われます。

こんな模範生を想像しながら実際問題を問いていくと、どの能力を問いたい問題かが段々見えてくるようになります。「お、この問題はこういう能力をあぶり出そうとしているんだな……」と透けてくると、面白く感じられるようになります。

 

 

味わい道② 問題背後の作問者を感じよう

さて、上では共通テストというものを作る上で、関わってくる存在3つのうち2つについて考えを進めてきました。

最後の1つ、作問者については、基本的には2つの存在が期待するものを具現化するように、要望に沿いながら(ある意味制約を与えられながら)作問していくことになります。

 

……てことは、語ることなんてないんじゃないの?と思うかもしれませんが、

いやいやそんなことはありません。

作問者が問題を世に出すまでには、数多のストーリーがあるのです。

それを知っていると、ちょっと問題を眺めたときの面白さも増すかもしれません。

 

作問の前には長い題材選びがある

生物基礎・生物の問題では、様々な実験が出てきます。

中には教科書では見たことのないようなものも当たり前にありますね。

これらの問題はどのように出来てくるのか?元になるのは「論文」などの、世に公開されている研究成果やデータの数々になります。

 

ですので作問する場合は、まず教科書・図説・論文等の元となる題材探しから大抵スタートします。ここぞという時用に温めていたものを出す場合もありますが……。

次にそれを一生懸命読み解いて、情報を整理していきます。

どんな手法で、何がわかったのか……

論理的に導けるものであるか、

論文の信憑性はいかほどか(作問してもいいレベルの確からしさがあるものか)、

使っている手法は突飛なものではないか等など、様々な視点で論文を精査していくのです。ここにはものすごい時間と労力がかかります。

 

なぜそんなに色々考え、この段階で時間をかけるのか?について少々説明を付けましょう。

1つめの理由は、上でも述べたように、作問は「教科書内知識で処理できる」「高校までで身につくであろう論理的思考力で処理できる」形に必ず落とし込まねばならないからです。そこを逸脱することは決してなりません。

とはいえ、論文は高校生の問題になる素材として最適化されているわけもありません。ということは、作問者がその論文をしっかり読み解き、こねくり回して、高校生が解ける問題に変換しなければならないんですね。

高校時点で理解しにくい手法であれば、最小限の情報を与えて手法を説明しなければなりませんし……

題材についての説明、何を研究したいのかの説明も、説明が長すぎると問題を解くのに差し障る……

とはいえ与える情報が多すぎると、問題として出せるものがなくなってしまうし……

もちろん問題として問う単語については、文章内で説明に用いることができないので、限られたパーツで作っていかねばならない……

そんな風に色んな制約に縛られつつ、論文を問題に仕上げていくのが最終目標なのです。なんとなく、これらの制約をすり抜けて問題になる題材は少ないだろうというのが分かるでしょうか。そう、無事問題になる題材は、実はかなり限られているのです(敏腕の人はどんな題材でも作問してしまう人もいますが)。

 

ということは、もし素材が良くないことに気づかないまま作問作業を進めてしまうと、実は使えそうになかった……と途中で挫折したとき、もう一度1から素材探しをしなければならなくなってしまうんですね。このように、素材探しの時点で作問者が論文を理解していないと、後々大幅なロスになってしまうので、選定作業にかなりの時間がかかること、そして様々なことに気を回すのは当然のことなのです。

 

2つめの理由は、作問者にはある種の責任があるからです。

それは、作問者が作った問題によって、それを問く人々にある種の知識との出会いが生み出されてしまう、というものです。これは責任重大です。

例えばSTAP細胞の例を挙げましょう。もし、STAP細胞について作問して、世に出してしまったらどうなるか。……意欲的な生徒であれば自身で調べて「STAP細胞はなかったんだ」とわかりますが、ほとんどの生徒は自身で調べません。

問題として出会った知識は、そのまま新たな獲得された知識として残ってしまうのです。

ということは、あまりにも杜撰な研究結果や、捻じ曲げられた研究結果をもとに作問をしてしまうと、多くの人に間違った知識を植え付ける源になってしまう可能性もあるわけです。責任重大でしょう?

だからこそ、作問者が題材を選ぶ時は、慎重にならざるを得ないのです。

 

そして最後3つめの理由は、やっぱりいい問題を作りたいからです。

いい問題ってなんでしょう?

制約を守った問題……勿論そうですね。

適切な難易度ば・バランス感覚の問題……これもいいでしょう。

確かにそうなんですが、でもやっぱり作問者の心のどこかには、「生物学を楽しんでほしい」「生物学の感動を伝えたい」というものがあり、

それ故、ストーリーがある問題、

学びがあって、楽しくて、驚きがある問題、

そうして問題を解くという行為を通して、感動を感じられるような問題がいい問題だな、という意識があるんです。

だから、こういう意識を持つ作問者の人々は一生懸命、「いい問題」になりうるような「面白い」題材を探します。時間を食う作業になって当然なのです。

 

 

題材を選んだら作問の「自由」が立ちはだかる

とまぁ、こういったことを踏まえて題材を時間をかけて探すわけですが、

これだと決まったら次は作問を実際にしていきます。

論文を読んでいる間に固まってきたイメージをもとに大枠を作っていくわけですが、これも案外大変です。というのも、一つのことを問う方法は複数あるので、どの問い方をすべきかはかなり自由度が高いからです。

例をあげましょう。あなたは、「生物の身体は細胞でできている」ということがわかっているかどうかを試したいとしましょう。どういう問題を出しますか?

ある人は穴埋め問題にするでしょう。 

  • □の中を埋めよ。 「生物の身体は□でできている」(このままだと複数回答が予想されます。語群をつけるかどうか、悩みますね)

ある人は正誤問題にするでしょう。 

  • 以下の文章の正誤を判定せよ。 「生物の身体は細胞でできている」
  • 以下の記述a~dのうち、正しいものの組み合わせを選べ。 a「生物の身体は細胞でできている」 b……

ある人は選択問題にするでしょう。

  • 以下の記述a~dのうち、正しいものを選べ。 a「生物の身体は細胞でできている」 b……

共通試験ではあり得ませんが、論述問題にもできますね。

そもそも「生物の身体は細胞でできている」について問いたいなら、誤った文章を述べてそれを誤りと判定できるかどうかで検査してもいいわけです。すると一気にバリエーションが増えます。

とまぁ、色んな問題形式がありますが、それぞれ実は問えるものが微妙に異なります。全部同じならそう悩む必要はありませんが、微妙に違うので悩みます。

こういう単語関係ならまだしも、実験から出題するとなると、グラフからも出せるし、計算でも出せるし、実験手法でも出せるし、考察でも出せるし、実験そのもののデザイン面でも出せるし……出せる源が多様にあり、かつ各々に問い方が複数潜在的に存在する状態になります。そんな中で作問者は、それらの可能性をすべて収束させて、一意にビシッと定めなければならないのです。

 

共通テストは選択式なので、記述式よりも自由度は低い……と見下されがちですが、それでも十分自由度があるんですね。

かつ、その中でも工夫することで様々なことを問えるようになる。

だからこそ作問者はその可能性をフル活用して、最大限能力を問えるような、共通テストにふさわしい問題に仕立て上げる必要があります。

 

ということで、延々と考える作業の始まりです。全然簡単じゃないですね。

大抵一回決めてみても、後から見返すとどうしても不服になります。何度も何度も全体を見返し、個々の問題を見返し、

難易度や、何を問う問題が何問あるか……みたいなバランスを調整したり、

表現をいじくったり絵を足してみたり、終わりのない工夫が続くのです。

 

作問の最後には熱い議論がある

で、そんな練りに練った問題を持ち寄って、今度は会議で、大人数で揉んでいきます。

個人でできることには限界があるし、問題すべてを揃えて見た時の印象は個々を見たときとはまた異なるからです。

おでこを突き合わせて、一つ一つの問題について、

論文の読み間違いはないのか?(論文に本当に書いてあるのか……ファクトチェックは超大事です)

選択肢の正誤問題は大丈夫なものか、本当にそうだと言い切れるものになっているか?(教科書準拠で一応進むが、教科書に明確に記載されていない(が、そうだと思われる)事項については絶対調べないと進まない)

「間違ったこと」「逸脱したこと」が問題になっていないか?

問いたい能力を問える問題群になっているか?(知識問題だけではだめ)

リード文や選択肢の文章は適切か、誤読を産んだり難解な表現になっていたりしないか?

そもそもこれを問うことは適切か?(高校生時点でわかっていたいor考えることができてほしい、という理想に沿っているか)

などなど、無数の問題について検討を進めます。

特に一番最後の「そもそもこれを問うことは適切か?」という観点は大事なものになります。もしこの観点が欠けていたら、奇抜な問題や、知識として丸暗記すべきないものを丸暗記させる問題になってしまいかねません。

問題というものは、「絶対身についていてほしい」ものを確かめるものであると同時に、「この知識・考え方・能力は身に着けなければならない重要なものだよ」というメッセージを発信するものでもなければならないと私は思います。そういう意味で、ただ揚げ足をとるだけのような問題は許されない。真摯な勉強をしてきた人が、まっすぐ報われるような問題であることも、大事なことのです。

 

このような議論を各個人が遠慮なく意見を出し合い、戦わせ、そして問題を修正し、また議論にかける。これを何度も何度も繰り返して、やっと問題が形になってくるのです。

 

 

そういう作問者の血と汗で出来たようなものが今目にしている問題だと思うと……すごい!ってなりませんか?

加えて、「人々が力を合わせるとこんなにも良質な問題が生みだせるなんて、すごいなぁ」という感動もあるのではないでしょうか。

適当な思いつきでは生み出せないバランスと問題の美しさが、ここには在るのです。

そして何より、作問者の気持ちがー「これは面白いでしょ!」という純粋な、学問を楽しむ気持ちがーそこにはあるのです。「これだけは身につけて頑張っていってほしい」ーそういう、生物学の道に進む人たちへのエールも、含まれているでしょう。

そういうものを問題から読み取ると、問題を通して見えない作問者と対話しているようで、私はちょっと楽しくなります。皆さんもきっと、楽しくなれると思います。

 

 

味わい道③ 問題という読み物から学ぼう

上で話したことと重複する部分もありますが、すべての問題は生物学において重要なことであったり、面白い事象であったり、

興味深い研究であったり……そういったものをベースに作られてきます。

ということは、問題は問題なんですが、ある種「読み物」に近い部分もあって、私達は問題を通して何かを学べて、純粋に楽しむことができるはずなんです。

だから、問題だ!解かなきゃ!と硬くなってしまったり、

分からない!もうだめだ!と悲痛な思いになったりするのではなくて、

心に余裕を持って、へぇ、そんな事があるんだ!この考え方は面白いな、

なるほど確かにこうすると実験で迫れそうだな、自分だったらどうしよう?

こんな疑問思いつくなんてすごいな、こんな研究があるなんて知らなかったな、などなど、

そんなのびのびとした感想を抱きながら眺めてみてはいかがでしょうか。

今の高校生ってこんなこと勉強してるんだ、という驚きでもいいですよね。実際、生物学の教科書内容は著しく変わっているので、なんだこれはという内容もかなりあるのではないかと思います。

そんな風に楽しんだっていいじゃない!大人なんだもの。

 

 

多くの人が味わえるようになったらいいな

ここまでひたすら話してきたのは、繰り返しになりますが個人的な考えでしかありません。

これが正解でもなく、間違いも当たり前に含んでいるでしょうし、

足りないものも大量にあるでしょう。

なので、今まで書いてきたことは全部でたらめだったのかもしれません。

そもそもうまく書けているとも思えません。勢いのまま書いてしまったので、意味不明なところも多く、冗長的なところも多く、なんていうか酷い文章だったでしょう。

 

でも、私は思います。

私のこの意味不明で、冗長的で、拙い文章はこれだけでは価値がないけれど……

もし読んでくれた人が、共通テストというものを作る背景にあるものに思いを馳せるきっかけになって、

今までとは違う楽しみ方が増えたら、それはものすごい価値になるのではないか、と。

 

共通テスト、いい問題が沢山作られているんです。

素敵な題材も沢山あります。

そういう問題に携わった人たちも、多くの人に見てもらったら報われる部分もあるんじゃないかなと思うし、

個人的にはこの楽しい題材が受験生のみに共有されるだけでは、もったいないとも思うんですよね笑*1

 

てことで、皆さんも気軽に共通テスト生物基礎・生物を眺めてみてくれたら嬉しいです!

長~~~~~~~~い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。

*1:そういう意味では各大学の入試問題も、日本生物学オリンピックの問題ももったいない!ってなってるんですよね。色んな人とシェアしたい……