あいまいまいんの生物学

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「子どもは何ができるようになるか」

先日、理科教育研究会の研究大会に参加してきました。

色んな先生の各地での取り組みの具体例を聞くことで、自分にフィードバックする良い機会です。

そのまま受け止めてアイディアを活用しよう、というものもあれば、

反面教師にしたり、我が身を振り返ったりするというきっかけに使えるものもあります。

どんな発表も価値あるもので、非常に考えさせられる良い機会でした。

 

特に今回の発表はほぼほぼ「主体的な学び」というものがメインで

「主体的に実験させる」という発表項目に収束してきている印象を受けました。

主体的な学びって難しい。言うのは簡単だけど。

例えば主体的に学ぶべきだから、実験のやり方を自分で考えてやってみなさい、自由にしてみなさい、というのは、それはちょっと違うなぁという気がします。

本当にそれで主体性が育つか?自分が求めている能力が得られたり

生徒に望む気づきの良い機会として提供されるか?ということを考えると、どうかなぁなんて。

結局手放しの「自由」は、アクティビティの時でもそうですが、

単位時間あたりに得られる学びも希薄になるし、

そもそも期待する学びに到達しない可能性が高いんですよね。

生徒も不完全燃焼感が多いし、何より自由に!と言われた時点で

何に頼ってよいのか?どこまで使ってよいのか?なんて、足がすくんでしまってだめなのではないかと思います。

何を期待されているのか、どういう所にたどり着くように今自分たちの力をもってして何をすれば良いのか、という指針はちゃんと与えてあげるべきだと思います。それが授業づくりというものだとも思うし…

これもこれで、言うのは簡単で実行するのは難しい。

何より実際やってみると考えていることでは全くカバーしきれていないパターンがあることに気付かされることばかりです。

かといって「じゃあ失敗を臆さず何度も試行して全パターンを把握できるようにすればいいんだよ」なんて言う人もいますが、

その時の生徒にとっては人生で一回限りの学びの場であるわけで、それを軽々しく「失敗してもいいや~」なんて気持ちでやっていいのか?という議論もある。

結局やってみなければ分からないし良いものにするまでには必ず叩き台があり、

教師が最初から最善の授業ができるわけではないので試行しようがしまいが生徒は犠牲になってしまう面がある、と私は思う。

だからこそ我々ができることは今の最善努力であり、それを尽くす他になく、

そして一日でも早く生徒が犠牲にならない「良い授業」なるものができるようにやっていくしかない…のだろう。

 

 

横道に反れてしまいました。

 

さて、その研究発表において、

学習指導要領改訂を受けて今後の理科教育を考えようという要旨の講演がありました。

学習指導要領等:文部科学省

この前大学入学共通テストについても新たなプレテストが公表されたばかりですね。

www.dnc.ac.jp

 

簡単に言うと、

今までの教育は「教師が何を教えるか」という内容重視の教育であった。

教科書中心で「〇〇を教えなきゃいけない」「□□という知識をつけなきゃいけない」みたいな。子どもはその教えられたことを学ぶ、というスタイル。

だけども新しい教育は、「私の授業を受けたら『子どもは何ができるようになるか』」を第一に考える。

今後の社会がどうあっても生き抜ける力やら術やらを育てるために、逆にそのためにこの授業を通してどういうことが可能にできるかなっていうのを考えながらやっていかなきゃいけないんだそうで。

なるほどねーと思う反面、実用重視感がちょっと強いなぁという気持ちにもなる。

 

個人的に、かつて自分が授業を受けていた時は

なんだか「無駄こそ愛せよ、その中に大事なものを見出だせる」みたいな気持ちの方が大きかったなぁという思い出がある。

色んな知識をかき集め、それがなんの役に立つのかはよくわからないままに「面白いね~」と言いながらひたすら集めて…

で、その知識が集大成になってきたころに手元で大きな音を立てながら化学反応して繋がっていく様に感動したものである。

「ここの理論がこの学問・現象に繋がるのか!!」と。

そうやって知識が生き生きとし始めて、その時強く、

「知識というものを沢山持っていなければ何も見えては来ないのだなぁ」と思ったのだ。

だから個人的には知識偏重しろとまでは言わないけれど、

授業というものを通して知識をしっかりと身に着けさせること、

というか知識と良い出会いの場を提供し

かつその知識が今後うまく使うべきときに使いこなせるような味付けをしておいてあげること、もまた大事なことなのではないかなぁと思っている。

それがもはや「知識や学問はハリボテで本当はこういう能力をつけさせるための授業だー!」というのは如何なものか。読み違いかもしれないが。

でも確かに

「私の授業を受けたら『子どもは何ができるようになるか』」

という視点も大事なんだろうというのは思うし、自分の授業がそこまで考えられているかって言われると全く素直に頷くことはできない。

自分なりの授業の形を模索していくしかないんだろうなぁ…