あいまいまいんの生物学

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まいばいお14 世界の伝染病:ペスト

一昨日は散々でした。

ものすごく右側だけ、頭が痛くなり、目が痛くなり、首が痛くなり、肩が痛くなり…

全部右側だけ。

そして気持ち悪くなり、辛くなり、つらすぎて泣きながら運転して。つらいつらいって叫びながら(それくらい痛かった)。

で、昨日は一日中熱に魘されて寝ました。とても辛かったです。

辛すぎて神経がいかれたのでは?とか右脳が膨張したのでは?とか色々思ったけど、麻痺とかはないから多分大丈夫だと思う…多分。

 

ということで、恐らく疲れか、風邪か。

わかりませんが、そんなことで、今日は病気について扱おう、と魘されながら決めていました(どんなつながりなのか…)

特に伝染病を扱っていく!

 

 

 

✿伝染病と共に歩む世界

かつて世界を変えるほどの影響力を持った伝染病、といえば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。

有名な伝染病は幾つもありますが、ではそれらがどんなもので、現在はどうなっているのかを知っていますか?

 

今回は「世界を変えるほどの影響力を持った伝染病」…特に、「ペスト」を取り上げて紹介をしていきたいと思います。

ただ、ペスト、あんまり日本語で生物学的な詳細文献が見つけられず、翻訳ミスがあるかも…とちょっと心配。

 

 

✿ペスト(黒死病)とは

ペストは、ペスト菌という細菌によって引き起こされる感染症です。

ペストは元々ネズミに流行した病気でした。

ネズミの血を吸ったノミが人の血を吸ったとき、この刺し口から菌が侵入したり、感染者の血に接触したりするとうつります。

森林の開拓とともに人が森に入ったことで、このノミと接触したり、人家に住みやすいクマネズミにペスト菌が感染するようになったりしたために流行が発生したと考えられています。

 

ペスト菌が体内に侵入すると、当然のように食細胞たちが集まって来て、大部分のペスト菌は貪食され死亡します。

しかし、マクロファージを含む一部食細胞に貪食された場合、ペスト菌はマクロファージ内でカプセルを形成し安全に存在し続けます。

 

www.semanticscholar.org

 

更にペスト菌は、Yopsというタンパク質を自身を貪食するために来た免疫細胞に注入することもできます。

Yopsに含まれるYopBとYopDは、宿主細胞の細胞膜に孔を形成することで、細胞溶解を引き起こします。

また、この孔から他のYopsが注入されると、免疫細胞は免疫機能のために重要な食作用や細胞シグナル伝達経路を制限されるようになります。

加えて、幾つかのペスト菌株ではサイトカイニンの放出を妨げるなど、免疫シグナル経路にも干渉することが可能…

このように、ペスト菌はマクロファージなどの免疫系の細胞による破壊を回避する能力を持っているのです!

細胞を乗っ取ったペスト菌は、細胞と共に血流に乗って感染部位から最も近い部位からリンパ系に侵入していきます。

ここでペスト菌はいくつかの毒素を生成して流していきます。

その毒素の内の一つはβアドレナリン阻害剤。

βアドレナリン受容体は元々心収縮などに働くので、βアドレナリン阻害は心収縮の緩和などを引き起こします。

他の毒素とも共同することで、体機能を弱らせていくようです。

 

ペスト菌がリンパ球感染を介してリンパ節に達すると、急性リンパ節炎を引き起こします。

これによりリンパ節の壊死や出血が生じます。この時点で頭痛、発熱、悪寒などの様々な症状が現れます。

リンパ節が全て冒されると、血流にまで感染が及ぶようになり、身体のほぼ全ての部位に移動できるようになります。

 

血液において細菌がエンドトキシンという物質を作ると、この物質がマクロファージなどの表面にトロンボプラスチンなどの血液凝固因子を生じさせ、

各所で血液凝固反応が始まり小さな血餅が多く散在した状態になります。

この血餅が血流を妨げる結果、各臓器で虚血性壊死(血流欠如による組織死)を引き起こします。

更に、血液凝固のための因子が上記の作用で浪費されるが故に全身で枯渇し、逆に身体全体では出血を止めることができなくなってしまいます。

その結果、皮膚や他臓器では出血が生じ、赤や黒の斑状発疹、そして血液嘔吐が発生します。この様子が「黒死病」の名の由来です。

このような敗血症状が出ると、早ければ発症同日にも患者は死亡してしまいます。

 

ペストが血流に乗って肺に到達した場合はもっと酷く、発症後12~24時間に死亡し、

かつ肺ペスト患者は肺に菌が侵入して痰やペスト菌エアロゾルを排出するため感染可能性を非常に高める要因にもなります。

どちらにせよ非常に怖い病気ですね…

 

ペストの治療は抗生物質で行えるため、現在はそんなに恐れられる病気ではありません。

しかし、実は有効なワクチンが未だにないため予防は不可能です。

かつて開発が試みられたことがあるのですが(ホルマリンによる不活性化ワクチン)、重度の炎症が引き起こされる可能性などから使用が留められてしまっています。

現在、ペスト菌が出すV抗原とF1抗原という、自然免疫や獲得免疫でも目印とする抗原について、これらを再現するワクチンを遺伝子工学で作れないかと考えられているそうですが、

F1抗原を欠く細菌は病原性が十分あり、

かつV抗原は多様性が高すぎることから、中々ワクチンができていないというのが現状のようです…。

 

✿中世ヨーロッパにおけるペストのパンデミック

ペストはかつて中世の西洋において、2回のパンデミックを引き起こしました。

1回目は6世紀、東ローマ帝国を中心に起こりました。

この頃東ローマ帝国はかつての西ローマ帝国の再征服を目指し、大規模な戦争(ゴート戦争)を継続して行っていましたが、そんな最中にペストが流行したため人口が激減、大混乱に陥ったと言われています。

この流行は200年以上続き、死者は1億人以上とも言われます。

 

2回目は14世紀に生じ、18世紀まで続きました。

これはモンゴル帝国によってユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになった(シルクロード)のに伴い、病原菌を媒介するノミとネズミをヨーロッパにもたらしたことが発端だと言われています。

また同時にこの時代、地球規模の大干ばつやバッタの大発生など凶作や災害が続き、人々の栄養状態が悪かったことも流行を助長したと考えられています。

このペスト大流行は、ヨーロッパの人口の3分の1となる2500万人もの命を奪ったと言われています。

この流行は多くの変化を世界に生みました。

まず、イングランドでは当時通用していたフランス語やラテン語の話者人口が減ったことで英語が主流になっていきました。

また、ペスト感染者にユダヤ教徒が少なかったことから、ユダヤ教徒が井戸に毒を投げ込んだ等のデマが広がりユダヤ教徒が迫害対象になりました。

ペストは祈祷で回避されなかったことから教会組織への幻滅、宗教改革に繋がっていきますし、

逆に教会がペストの原因解明のために死体解剖の許可を与えたことから近代医学の夜明けになっていったとも言われます。

 

最も大きかったのは検疫がはじまったことです。

検疫は英語でquarantineといいますが、これはイタリア語ヴェネツィア方言で40日間という意味の言葉が語源です。

ヴェネツィア共和国では、ペストがオリエントから来た船から広がっていくことに気づき、

船内に感染者がいないことを確認するため疫病の潜伏期間に等しい40日間、疑わしい船を港外に強制的に停泊させるという法律を作りました。これが検疫のはじまりです。

「検疫」は現在でも空港等で行われ、感染症対策の重要な手段として残っているものであることからも、この進歩は非常に画期的だったといえます。

 

 

✿ペストの縮小

1727年、ドブネズミがロシアのボルガ川を東から西へ大集団で移動する現象が観察されました。

この後ヨーロッパにドブネズミが広がり、対してクマネズミがほとんど追い出される現象が生じます。

これ以来ヨーロッパではペストは大きな流行病ではなくなりました。なぜならドブネズミは下水や屋外に住み、ヒトと密接な接触を持たないためです。

 

中世ヨーロッパのペストの恐怖は、ヨーロッパに革新的な変化をもたらしただけでなく、

文化面でも「メメント・モリ(死を思え)」の精神を産んだことで文学・美術などに影響を与えました。

 

✿ペストの再燃

これまでのペストに関しては、人々はなぜこのような病気が起こるのかもわからないまま、ただペストの猛威が過ぎていくのを待つしかありませんでした。

しかし1894年、100年のブランクを経て突然中国でペストの流行が始まります。そしてそれは香港まで到達…

日本まであと一歩というところまでペストがきていました。

 

そこで、日本政府は6人からなるペスト調査団を結成。

そのメンバーの一人は北里柴三郎でした。

 

ペスト調査団は無事香港に到着しましたが、ここで一つ問題が発生します。

それは、ペスト原因を突き止めるために病死者の解剖をしなければならないのですが、中国人にとって死体解剖は死者への冒涜であった、ということです。

つまりおおっぴらに解剖ができません。

そこでペスト調査団は、ペスト患者を葬る墓所の近くの病院の片隅の小屋で、墓所へ運ぶ棺を一度小屋に運び入れて極秘に解剖することで、調査をすすめることにしました。

 

扱う死体は死後数十時間と経過しており、雑菌だらけ、腐敗も進みすぎたようなものばかりだったのですが、

北里柴三郎は「既に原因がわかっている病気と比較し最も似ているものに沿って病気を理解する」という手法で、ペストに挑みました。

結果、炭疽菌に似ていることに気づき、炭疽菌の診断方法ー血液中に菌がいるかどうかーを見るため、血液中を調査したのです。

すると見事に、血液中に入り込む不思議な形の細菌が見つかりました。これがペスト菌でした。

 

病原菌の正体を捉えたことで、研究は飛躍的に進み、

北里柴三郎は消毒方法やネズミのことまで一気に突き止めました。

結果、香港で様々な対処が基いて行われ、ペストは一気に終息していったのです。

 

ただし、北里柴三郎と同時期に、同じ香港で、全く個別にペスト菌を見つけた人がいました。

スイス人のAlexandre Yersinという人です。

エルサンは北里の発見から一週間後に、ペスト菌を見つけ出しました。

 

しかし、この後二人ともが精力的に研究を行っていく中で、

北里柴三郎ペスト菌に関する発見を二転三転させてしまいます。

グラム陽性か陰性かについての主張が、エルサンが「陰性」を報告したのに対し北里は「保留」からの「陽性」、「取り下げ」という過程を経てしまったのです…

このような展開の中で、「北里柴三郎が実際に見つけたのはペスト菌ではなかったのではないか」とか、

ペスト菌の真の発見者はエルサンだ」という主張が大きくなっていき、

最終的に学名は「エルシニア・ペスティス」に…つまり、エルサンの名前しか残らない形になってしまいました。

 

 

しかし1976年、アメリカの研究者によって北里柴三郎が見つけた菌とエルサンが見つけたペスト菌はたしかに同一のものであったこと、

すなわち北里柴三郎が最初の発見者であったことを証明する論文が出されたことで、北里柴三郎の名誉は回復されました。

 

 

 

伝染病が歴史を変え、文化を変えるだけでも凄いことだと思いますが

このような恐ろしい伝染病に、何者か分からなくても挑もうとした人々がいたこと、

それだけでも私は凄いなぁと心から思いますね…