あいまいまいんの生物学

あいまいまいんの生物学

生物学が好き。勉強したり遊んだり。

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東大の問題を解きました

2月23日、今年の入試直前に、実は東京大学に行ってきました。

おーいよいよ大学受験!って感じで

どこもかしこも受験番号案内がひっそりと紙で貼ってあって、

非日常感をほんのちょっぴり漂わせている大学の雰囲気がすごく素敵でした。

 

ということで(?)

 

今年も東京大学の問題を解きました。

あと名古屋大学も解きました。

京都大学も含めて旧帝大 + お茶の水辺りを解きたいな~と思いつつ、取り敢えず成績処理などに追われているため一旦この時点で記録します。

 

sokuho.yozemi.ac.jp

 

東大生物は相変わらず

解きやすく、論理的で、考えさせられて、ネタが面白い!

これに尽きます。

毎回どうしてこんなにクオリティの高い模範的な問題が作れるのかなぁと不思議です。

バシッと答えが明確に決まる問題なのに、深いって凄いですよね。私もそういう作問ができるようになりたいものだ…。

自分が作問経験があるから分かるけれど、これって本当に凄いことなんです。

生物の問題を作る時には、まず題材を探しますが、

この時点で英語の論文をごまんと読まなければいけません、特に新しい題材を使おうと思ったら余計に。

今まで使い古されたネタでも、ファクトといってその問題の素材元になった論文を見つけてこないと作問ができません。事実に反した問題作りになってしまう可能性があるからです。

ですから、論文をうんうん唸りながら読んで、

実験データや考察を見て、

なるほどね~となったら次の段階、作問です。

どのような問を立てるか?に始まり

実験データをどのように整えるか、どこまで提示するか、めちゃくちゃ考えます。

論文のデータそのままベタッと貼っても、今回考えさせたい内容と関係ない部分が沢山入ってしまったり、素直に読み取れないこともあります(色々なものが邪魔していて)。

だから どう加工したら読み解けるデータになるか?

問題に相応しい情報量はどこまでか?

どの視点のデータが必要か?

なんてすっごい考えて問題用データを作ります。グラフとか、表とか、本当はすごくすごく考えて練られた上で提示されていて、問題集や模試や受験問題で見るようなあんな素直でキレイなグラフ元々の論文には絶対といっていいほどありません。あの裏に多大なる努力があるのです。あと数多の思考が、ブレインが…。

で、勿論要素数が多ければ多いほど問題を作るときに考えなければいけないことは複雑化しますから

大体は骨が折れてしまうし自分のミスも気になって2要素3要素くらいに落ちるのが普通かと思います。

それを東大はさらっと複数要素使ってきて、

しかも新しい実験系や導入をあんなにも美しく作り、

受験生が考えるべきところで考える時間を使えるよう素晴らしい道案内をしているのです。これは本当に凄いですよ。

情報量も的確、問題の難易度も適正、内容の新規性もばっちり、

やはり東大は化物だなぁと毎回問題を見るたびに感動させられます。

さすが学問の最高峰です。

逆に、東大の問題に慣れると他の大学の問題は物足りなかったり、汚かったり、求められている思考・答えが不明瞭であったり、本当に「ストレス」が溜まります。

いやー、本当に東大は凄い…。

 

本題、東大の問題。

1問目、もう完全にロジックですね。生物知らなくてもできちゃう。

私の愛する線虫が題材だったのでノリノリで解きました。

線虫の孔の細胞はよく出るようになりましたね。センターでも出ましたよね??

いやー、線虫皆もっと知ろう…

にしても過剰発現と欠損であんなに美しく出るもんでしょうか。

ファクトが気になります。どうやってあんなの探すんだろう。

 

2問目、植物の、当たり前に習っていることが分かってるのか??というキレのある発問で好き。

光-光合成曲線をなめてかかる人沢山いるけど、実際は奥深いね…ってなりました。

教科書で与えられるグラフなんて代表例だもんね。もはやあんなのいないよ、って。

この世は多様性で満ちているぞ。そして環境によっても変わっちゃうんだぞ。というメッセージ、いいなぁ。

 

3問目、環境変異を出してくるとは!!いいネタ。

進化といえば突然変異のこのご時世で環境変異を扱って、まさに歴史上獲得形質遺伝を提唱したラマルクの気持ちに寄り添えるような内容になっている。これは良い。すごく気に入りました。

ただ、最後のガが出てきたときは、ガで、ホルモンで、と言った瞬間に「あー絶対結紮くるなー」と思ったら案の定結紮でした。結紮好きねぇ…結紮…なんでガはすぐ結紮されるん…

でも楽しい問題だった!今回もストレスフリーで頭がすごくいい感じに使われた感。良い読了感ならぬ解了感ですね。

ただ、やはり個人的には昨年のタスマニアデビルが衝撃的でしたね。タスマニアデビルを超えて欲しい。あれは最高傑作ですよ。なんだあの問題は、って…

あんなクオリティが神がかった問題が毎年出たらなんか生物の先生辞めたくなっちゃいそうだからいいけど(ほんとに。劣等感で死ぬ。

 

 

さて、名大はどシンプルでした。

というか、一問目から使い古しネタでがっくり。問題文読まなくても解けちゃうよこれ~。

最後の遺伝はちょっと考えさせようというのが見られたけど、でもあれだって素直な組み合わせだしな。満点余裕でちょっと退屈だなぁ。

という感じでした。

 

あーほかも解かなきゃ、仕事もやらなきゃ…大変だ~~~

まいばいお1 サクラ

私は今年度、週一回のペースで

1年生の授業時に生物学の読み物をB4サイズで配布し続けてきました。

今後、その活動というか、集めた知識を共有していきたいなぁと思ったので

週一くらいのペースでUploadしていこうと思います!

 

ただ、もしかしたら間違いや誤字脱字があるかもしれないので

調べるなり何なり自己責任で読んで下さい・・・

あと訂正やコメント頂けると反映できるので嬉しいです。ご指摘下さい。

 

 

第一回はサクラについてです。

 

 

サクラについて知ってるか?

 サクラは、植物界・被子植物門・双子葉植物綱・バラ科バラ科・スモモ属(サクラ亜属)に位置する植物です。

 日本人はサクラが大好きですね。今年も既に開花予想が発表されています。

 皆さんも毎年春には、桜を見るのではないでしょうか。

 

 普段最も身近に植えられている桜の種名は知っていますか。

 ソメイヨシノといいます。

 ソメイヨシノは、エドヒガンを母、オオシマザクラを父とする雑種としてできた単一の樹を始原とし、全てのソメイヨシノがそのクローン(全く同じ遺伝情報をもつもの)であることが知られています。

 

 では、どうしてそんなことが分かるのでしょうか?

 

ソメイヨシノの両親を突き止めた理論

 そもそも、生物は ➀ 自身が分裂する か ➁ 自身と他個体で受精をする か、大きく分けて二つの方法で子供を作ります。

 植物の場合はどちらもできてしまいますが、新しい特徴をもつ子供を作る場合は➁ の方法を用います。

 ➁の方法を用いると、子供のもつ「核内の」遺伝情報は母と父の半分ずつを受け継いだ形になります。

 しかし、受精卵という一つの細胞は、実は母の作る未受精卵の細胞の土台をそのまま受け継ぎます。

 父が作る精子や精細胞は、「核内の」遺伝情報を子供に与えるだけで、たとえばミトコンドリアや、葉緑体などの細胞構造は全く子供に与えません。最小限の作りになっているんですね。

 イメージとしては、母が作る未受精卵が引っ越し先の部屋(家具付き)。父の作る精子はそこに運び込まれるたった1つの机?のような感じでしょう。

 ですから、私たちの細胞は実は母のみがくれた細胞小器官で構成されているのです。特にミトコンドリア葉緑体は独自のDNAをもつので、植物の場合は葉緑体のDNAを調べてやれば、誰がお母さんなのかはすぐに分かります。

 ソメイヨシノがもつ葉緑体のDNAは、エゾヒガンのもつ葉緑体のDNAと一緒だった・・・ということですね!

 

 その後ソメイヨシノの核内のDNAを調べれば、片親がエドヒガンだと分かっているならば、エドヒガンの情報を差し引いて残った遺伝情報が誰由来かは探せそうです。

 結果、オオシマザクラの核内のDNAを貰ったらしい、とわかったわけです。エレガントですね。

(ただ・・・実は、核内のDNAに関してはヤマザクラにも似てるぞ、となっていて、現在はエドヒガン × ヤマザクラオオシマザクラの雑種、の可能性が示唆されています。)

 

ソメイヨシノの未来とは・・・

 ソメイヨシノは皆クローン。クローンを作るときは➀ の方法を使います(接ぎ木、といいます)。

 人の手で全て接ぎ木した樹が現在日本中に生えているので、皆全く同じ遺伝情報。だから同じ時期に一斉に咲くんですね。

 

 実はこれって凄く「こわい」ことだということに、皆さん気付きますか?

 全てのソメイヨシノが全く同じ遺伝情報を持つということは、どういうことを意味するのでしょう。

 

~ 考えてみて・・・ ~

 

 全く同じように美しい、全く同じように咲く、と同時に、全く同じ病原体に対して抵抗力がない、全く同じ環境条件に対して弱い、ということも指しています。

 ということは、ある一種類のソメイヨシノの病原体が発生し、もし感染拡大したら、為す術なく一気に全てのソメイヨシノが枯れてしまうということになります。

 ある時突然全てのソメイヨシノが咲かなくなったら・・・それは想像してみるととても寂しい気持ちになりますね。

 

サクラと言えばあのお菓子

 サクラといえば「桜餅」なんて、食いしん坊な人は思い浮かべるでしょう。

 桜餅は、オオシマザクラの葉でお餅を包んだお菓子です。あれ、なんでオオシマザクラの葉で包んでいるか知っていますか?風流だからかな。

 

 本当は、オオシマザクラの葉には「クマリン」と呼ばれる毒(!)が含まれているからなんです。

 桜餅は独特の香りがすると思いますが、それがクマリンの香りです。

 クマリンは生きているサクラの細胞の中では、液胞内に大事にしまわれていて匂いません。

 しかし、細胞を潰したり乾かしたりすると外に出てきて、香るようになります。

 だから桜並木を歩いてもあの匂いはしないけど、桜の葉が散って雨が降るなどすると強烈に香るようになります。経験ないですか?

 

 さて、クマリンは先ほども言ったように「毒」なんです。抗菌作用があります。

 なんでそんなものを持っているんでしょう?しかも細胞が傷つけられた時だけ出てくるんですよ。

 

~ 考えてみて・・・ ~

 

 このクマリンは、オオシマザクラにとって「害虫や病原菌などに細胞を傷つけられた時のみ、それらを退治する」という仕組みに役立っていると考えられています。

 私たちはそのクマリンを、お餅が腐らないようにするために活用しているんですね。日本人は賢いなぁ!

 ちなみに君たちが食べたとしても、食べ過ぎなければ&毎日食べ続けなければ問題ない量なのでご安心を。おいしく桜餅を食べてくださいね。

 

Atcoder ABC119D Lazy Faith

旅行中でabc119出られませんでした。

が、早速今日やってみたのでメモ書き。

世の中レベル高い人達ばかりが記事を書くので、私みたいなだいぶ初心者寄りがわかったことを噛み砕いて需要があればいいな…という感じで書いてみます。

 

A,Bは作業ゲーとして

C問題は最近では珍しく全探索系でしたね。

「これどうやったら効率的に解が出るんだ…?どんな法則が…??」とかめちゃくちゃ考えちゃいました、最初。

でもあからさまに数字設定が小さすぎるもんな、という気持ちではあった。

そういうのも瞬時に見積もれなきゃ駄目ですね。精進します。

 

 

本題、D問題のやつ

atcoder.jp

 

自分で考えたことはこんな感じ↓

  • これ、自分の地点から一番近い東側&西側の神社と、自分の地点から一番近い東側&西側の寺を見つけて、それぞれ全部距離だして最短を吐けばいいだけじゃん?簡単では?
  • かなりスピード感が必要そうだから、一番近い東側&西側の神社or寺を探すっていうのが鬼門なんだろうな

 

イラスト化するとこういうことがしたい。

f:id:I_my_mine:20190225200357p:plain

例えば入力例1ならこういう状況で

f:id:I_my_mine:20190225200541p:plain

500の位置に立ったとすると

f:id:I_my_mine:20190225200710p:plain

赤丸のついた4つだけを見ればよい

f:id:I_my_mine:20190225201119p:plain

全部の組み合わせを見ていけばよいのだ

f:id:I_my_mine:20190225201147p:plain

f:id:I_my_mine:20190225201204p:plain

 このパターンならじゃあ200で、みたいな。(500という例がまずかった。450とかにしておけばよかった…でももうめんどっちいのでこれでイメージしてもらえば。)

で、この距離計算ってどうやるの?って言ったら、これは簡単で、自分の距離と近くの神社or寺の差の絶対値を出して、更にその神社or寺と今回組み合わせる相手の差の絶対値を出せばいい。

模擬的に自分の位置をx, 寺をt, 神社をsにするなら

ans = abs(x-s)+abs(s-t) と

ans = abs(x-t)+abs(s-t) を全部のtとsの組み合わせでやっていって

最小を探せばよい。

 

問題は「自分の地点から一番近い東側&西側の神社or寺」をどう見つけましょうかという話なわけです。

そもそも、本当に西と東どちらにも絶対あるかというとそうでもなく(入力例1の最初の立ち位置とかそうですよね)

だからちょっと一工夫も要ります。

今の「東と西どっちにもあるんか問題」は寺と神社の位置を入れたvectorの先頭と後ろに途方もなく遠い寺と神社を入れちゃえば解決します。-INFを0項目目に、INFを最後の項目に入れちゃいます。

で、近くのを探す方法はlower_boundやらupper_boundやらを使うと速い!

lower_boundやupper_boundを駆使して見つけた「自分の地点から一番近い東側&西側の神社or寺」の位置をなにかに記録しちゃって、それを使いながらさっきの最小を引っ張り出せば完成です!!

atcoder解説にもあったように、lower_boundまたはupper_boundのどちらか一方さえ出れば、もう一方はイテレータを1ずれせば手に入るのでそれでもいいと思います。ここら辺は好きなように。

 

 

まとめると

  1. まず与えられた数字を格納します
  2. 神社の位置と寺の位置もvectorでとっときます
  3. 神社の位置と寺の位置のvectorの先頭と末尾に途方もなく遠い位置の神社と寺を設定します
  4. 与えられた立ち位置からlower_boundまたはupper_boundを駆使して「自分の地点から一番近い東側&西側の神社or寺」を探して記録しておきます
  5. 自分と寺(神社)の位置の差の絶対値+寺と神社の位置の絶対値 を計算し、ansになる最小値の組み合わせを探します

おわり

課題研究って難しいなぁ

昨今話題になっている「課題研究」。

猫も杓子も課題研究をやれと皆躍起になっているなぁという感がある。一種の流行りというか…

 

我が校も御多分に漏れず課題研究を1年生の段階からやっているのであれが

これがまたどうも難しいなぁという苦い気持ちで見守っている。

 

我が校の1年生の課題研究は

「とりあえずやってみることで経験をさせましょう」

「一回やったことを反省させることで2年次により良い課題研究や論理的思考ができるように育てましょう」

という方針で行っている。

そのため1クラスで5班構成するのだが

そのうちの3班が物理、2班が生物で自由にテーマややり方を決めて取り組んでいく。

各クラスの物理または生物の教科担当が彼らの指導役や助言役としてつくが、出過ぎた真似はしてはいけないという決まりだ。目標が目標なので、最初から上手くいかせてもいけないし、自分たちで気づかせられるようにもっていかなければならないのだという。

だから「なるべく手を出さない」…これを守りながら、

課題研究のテーマ決め、予備実験、本実験そしてまとめレポート作成までを今まで見守ってきて、それで感じたのがやはり「難しいなぁ」ということだ。

 

 

まずテーマ決め。これが本当に難しい。ここで全てが決まってしまうと言っても過言ではない。

彼らは課題研究に相応しいテーマというものが何たるかというのをわかっていない。具体的なイメージもないため、

「教科書や図説を参考に」と言われると

言われたとおりに教科書や図説からのみ題材を探してこようとする。

教科書に載っている物「しか」目に映らないし、

研究の内容を考える時も手法すら教科書に載っているもの「しか」ない。

だから「こういうことが疑問だからこれを調べてみたい」

「それを調べるにはどういう方法をとるのが『適切』か?」という視点がないので、

やたら難しい内容、実現できっこない内容、

何も真理を追求できないような実験方法、これらに落ちてくる班ばかりだった。

 中にはキメラマウスなんて言い出す班もいたりする。

要するに生物学になぜモデル生物なるものがあるのかが分かっていない(まぁ、こういう実際に考えたりやったりする過程を通して、モデル生物の有り難みやなぜそんな名前や括りがあるのかという意味にたどり着けるというものでもあるので完全に無駄な経験ではないけれど…)。

で、結局実験アイディアを持ってくるのは班長なので、班長との一対一で話さなければいけなくなる。

これできると思う?なぜやりたいの?何をやりたいの?

それを班長が持って帰り、班員にフィードバックしたところで、その班長の伝達能力の高さによって次に戻ってくる再提出のクオリティが全然違う。

何度言っても伝わらない班長や班もあるので、どうしようもなくなってしまう…

ちなみに、直す時にはこのようにアドバイスした。

1 まず教科書は見なくていいし図説からも離れよう

2 題材は手に入れやすいもの、飼育や維持がしやすいもの、成長段階が揃えやすいものにしよう(だって対照実験組むの大変だよ?)

3 検証可能なことを調べる対象にしよう(例えば二酸化炭素濃度の変化は多分検出できない。でもヨウ素でんぷん反応なら検出できる。こんな風に調べたいことは検出できる方法から考えて実現可能性を検討する)

4 自分の身近なもので今まで見てきて不思議だなとか、こうならないのかなとか、そういう「違和感」を感じたことを引っ張り出そう。食品とか、道端の植物とか、眺めていて少しでも気持ちに触ったものがあればそれは良い。もしそういうものがなければ、当たり前だと思っているものが変わったらどうなるのかを調べる対象にしよう。例えばりんごを塩水に切ったらつけるけど、それを変えたらどうなるの?とか。

これで大抵の班は割とうまくいったかな?という気がする。勿論高尚でこちらが息を飲むようなエレガントで素晴らしい研究アイディアなんて出てこないけど…とりあえず課題研究としては良い内容になったのではないかと思う。

ここのアドバイスというか、課題設定時にどのようにテーマ決めに導くかというのは、かなりコツがいるのだと思うので、模索する必要があるなぁという感じだ。

今回のアドバイス項目でも悪い訳ではないとは思うけど、とても良い訳でもない。そもそも私がどこに持っていきたいという明確な基準?目標値?がなければその道標も見つからないわけで、まずはそこからか、という気持ちだ。

 

 次に予備実験と本実験だ。

まず器具の予測が本当に難しいなぁという、それに尽きる。

本当にどの班も実際やるときになって初めて「あっ、これが必要だった」「これじゃ駄目じゃん」「結果出ない…」と予備実験で散々に打ちのめされていた。

今回の予備実験ではある程度の実験器具を多めに出しておいたのでなんとか回ったが、最初から厳密に言われたものだけ用意していてはやれなかっただろう。

そこに加えて評価の難しさといったらもう…

指示する者、よく動くもの、言われたら動くもの、完璧に傍観する者。色んなタイプがいる。どれが評価されどれが評価されぬべき者なのか?そこそこ自分で考えそこそこ動いている人間は、実は大体班でのチームワークがよく班全員がそれだったりする。その場合誰を評価するのか??

班単位で見れば4番目でも、別の班のメンバーと比べたらよっぽど評価対象になるような子は評価するのかしないのか?何を基準に評価するのか?これが分からない。つらい。

そしてどこまで助言していいのかという塩梅も全然分からない。

基本放置でやってみたが、本当にこれで良かったのだろうかと思う。

更に、自分の負担も半端なかった。

生物実験は日を跨ぐものが多いので、毎朝毎朝早い時間に行って生徒に付き合わなければいけなかった。これが辛かった。

そもそも生物の課題実験を一時間の本実験で組もうとしていること自体が間違いなのであって…

だとすると最初から生物の課題実験なんて組むなという話だし、

生物を組むなら組むで長期の担当教員の犠牲を見てみぬフリするのはどうなのか?最初から考慮に入れないのか?という…

 

最後にレポート。

考察にどこまで手を出しましょうかという話である。

 実際見ていて思ったことは沢山あって、

・これ本当に結果出てる?(染まってる?反応してる?)

・これ有意差ある?

・なんでこんなことになるの?

・この操作の時点で最初の目的は測れなくなっている気がするけど大丈夫?

・この結果からこれだけしか考察しなかったの?

 ・これも分かるんじゃない?

 ・どうしてここをもっと考察しなかったの?

 ・どうしてここを考察するときにネットで調べたりしなかったの?

 ・考察のレベルが浅すぎない?

 ・これは考察じゃなくて結果を言ってるだけでしょ?

 ・なぜ「失敗」と切り捨てるの?考察しないの?

  ・「失敗」ということはそこで変えた変数が本来出るはずの結果を変えたってことなんだから凄いヒントになってて深い考察ができるはずなのに…

などなど…

もうなんと言えばいいのやらだし、

どこまでやればいいのやらだし。

どうやって指導すればいいのかも分からないし、

かといって今回は「経験」がメインだから考察には口出ししないようにされているし。

これってどうしたもんかなぁ。

 

でも、この考察やレポートを放っておいたところで、彼らに成長はあるのだろうか。

私はよく教授から「優秀なものを手本にしなさい」と言われてきて、

優秀なものの考察や論理を学んできたが、

彼らにはその過程がないのではないか。つまり我々が「優秀なお手本」を与えないままに好き勝手にやらせているだけではないのか。何かに近づけよう、こういう風にやろうという終着点がないまま手探りで頑張るからこうなるのではないのか…。

だとしたら優秀なお手本を探して全生徒に公表する?それはアリだと思う。

なんなら全ての班の実験の考察を教員がやってみせたものを提示して次回の実験時には頑張れと言ってみる?これも面白そうではあるが、またまたこちらの負担が半端ないことになりそうだ。でも一番効果的だろうなと思う。

もっというと実験設定から何が駄目だったかとか本当はとことん議論すべきだろう。教員と生徒たちで。でもそんな時間ないもんな。

 

と、まぁこんなことを思ったりした。

1年生だから2年生に期待かなぁ、なんて思った。

 

が、先日2年生の研究発表会が行われたのだが、

行った先生が口々に「駄目だ…」と言う。やっぱりうまくいっていないのだ。

なんでそうなる。

特に数学の課題研究が駄目だという。研究できていない、と。

そもそも数学の先生が研究を見れる能力もないし…という声も聞こえてくる。

うーん、じゃあ一体どうすればいいんだろう。何を変えたら?どういうことをしたら?課題研究は皆が理想とする「課題研究」になるんだろう。

生徒はいつまでモルモットしなきゃいけないんだろう。こんなに色んな学校、色んな世代、色んな人が取り組んでもまだモルモットで、確実な力を身に着けさせて貰えることもできず、「まぁ今よりはちょっと学んだ自分になれるから」と行き先もない役に立つか分からない能力を育てられているような雰囲気に置かれているだけだ。

そんなのでいいのだろうか。

そんなので。

 

どうやっていったらいいんだろうなぁ…

新しいものを拒まない

最近、というか、ちょっと前からだと思うのだけれど

Tik Tokという動画共有アプリがある。

Twitterで頻繁にプロモーションが来るのと、若者文化っぽいなぁという理由で

なんとなく使うことのないまま素通りしてきたのだけれど、

つい先日その話をしたら相手に「Tik Tok面白いよ!」と言われた。

で、実際にインストールしてみると

なるほどアプリの加工技術が面白い、というか凄い。凄まじい。

ラッキング技術の高さが比類ないもので感心させられ、

こんなに簡単に動画編集でき、かつ「短くなければいけない」という制約が逆にダラダラと見続けなくて良いという楽さを作り出し

同時に作り手側にとっても敷居が低く

そんな動画アプリなら流行って然りであろうなぁという気持ちになった。

 

 

話は打って変わって自分の職場の話をしたい。

私は授業を全てPowerPointで作ったスライドで行っている。

というのも、PowerPointで作ってあると画像やイラスト、アニメーションや動画が示しやすいし、

何より板書に時間がとられることもなく、

授業の流れもPowerPointを作る過程でしっかり構想できるし、

何度も何度も同じ授業をやるのであれば非常に効率が良いと考えているからだ。

しかしそんな私の授業を一度も見ないままに

年配の先生は「PowerPointで授業をしている」というだけで眉をひそめる。

まぁ自由だけどね…という言葉の端に、なんで黒板を書かないんだ、教員としてどうなんだという含みを感じることが多い。

 

私はそういう目に合うたびに、

なんでこの人は便利なものの便利な部分を使おうとしないのだろう、

自分が守りたいものは勿論守れば良いけれど、

自分が成し遂げたいことがそのツールを使ってできるという話ならそれ「も」採用すればいいのに、

そしてそういう風に授業が作られていくものだという認識で多様な在り方を認めていけばいいのになぁ、ということを感じていた。

新しいものは害悪などではなく、

むしろ何かの需要をもってしてこの世に産まれてきたものなのだ。

その価値が欲する人には分かるし欲しない人には分からないので

欲する人は使えばよいし欲しない人は使わなければよかろうというそれだけで

ただ欲しない人がそのツールを否定する権利なんてどこにもないのだ、と思う。

 

そう思っていたはずなのだけれど、今回冒頭で述べたTik Tokについて

自分はどちらかというとPowerPoint否定派みたいな人たちに近い立ち位置をとってしまったのではないか、

とTik Tokを使ってみて反省した。

要するに、新しいものや一見「若者文化」に見えるものに踏み込みにくくなっているんだと思う。

それがもしかしたら今までのPowerPoint否定派の人たちも共通したことなのかもしれない。

試さずして足踏みして遠巻きに、自分の世界を崩さないままで生きているのだ。

それは、きっととても「勿体無い」ことだろうと思う。

 

 

自分は今まで色々新しいことをやってきたつもりでいた。

前任の学校では生物の実験が一切なされていなかったので一から実験カリキュラムを作ったし

休日に有志の生徒に発展実験の場を与えた。

Google Driveを使って授業で使用したスライドやプリントの共有も行い、どこからでも授業内容を確認できる体制も作ったし

Google Groupsを使って授業時の質問を常に受け付けられるようにもした。

また、希望者だけでキャンベル生物学の輪読会も行うことでよりディープな議論ができる場も設けたし

今は生物の広報を週一回で配布するという試みを行っている。

 

色々不便を感じることを、

色々不満を感じることを、よく変えていくことができる技術が時代と共に必ず産まれてくる。

だからその産まれてくる技術をうまく使いながら私達は

「痒いところに手が届く」を実現していかなければならないと思う。

そのためにも今回のように、新しいことをまるで拒むような

そんな姿勢を見せてはならない。

一見異分野、一見関係ないことも全部繋がっているのだから

やはり幅広く勉強していかなければならない。

そう改めて思い直せたので、Tik Tokには感謝したい。

あぁ、知らない内に老いていくところだった。

 

 

 

取り敢えず、今日科学部で悶々としていた部分を変えるために一歩踏み出してみることにした。

個々人がやっていることが不透明なので、

できる限り無駄を省いて機能的な中間発表会を設けることにした。

だらだらやらずに、でも生データを使いながらきっちり議論できて、

可能な限り誰かがメモをとらずとも発案者が文字で書き留めて回収できるような、そんな形を目指したい。

 

他にもやりたいことがある。

それは授業時の質問回収だ。

目安箱型とか、ノート型とか、授業時に浮かんだ質問をする場合は授業内でネットが使えないから紙媒体がいいかなぁとか考えつつ、

返答はオンラインがいいなぁという気持ちでいる。まだここは考え中。

ただ、ここに関しても学校は閉鎖的なので、オンライングループを作ることなどに批判的だ。どうにかしてほしいものだ。

 

変化を拒まず、新しいものを味方に!やり方を模索していきたい。

上がったり下がったり

ちょっと前までお先真っ暗思考で毎日死んだように生きていて、

これ死んでも何も変わらないどころかむしろプラスなんじゃないか、

あー生きるためだけに働いたり生を全うしたりするの大変だなぁ、面倒だなぁ、

勉強もしたいけど全然頭発達しないし自分の無能さばっかり目につくなぁ、

こんな自分は無価値だなぁ…なんて考えばかりに囚われて精神的にきていたんですが。

 

最近は逆に開き直っちゃって

誰かとおしゃべりするの楽しいな!とかいって色々な先生や生徒と沢山喋ったり

勉強したいことプラスかマイナスかわかんないけどやっちゃお!って自由気ままに勉強したり

こうやって変えたいから授業こうやってみよ!って割とフレキシブルに変えてみたり

そんな風になってきました。まさに上がったり下がったりです。

 

自分の精神やら日々の生き方やら

そういうものを決めるのってとっても大変ですね。

逆に今までなんでなんの苦もなくできてきたんだろうって本当に思います。

そういうことを考えなくても勝手に道ができてそれに乗っかってただけなのかしら。

 

逆に今は何もかもの決定権がこの手の中にあり、

それが重荷であったりつらかったりするわけで、

不自由から解き放たれた不自由とはまさにこのことかと思ったり思わなかったりします。

 

 

久々になんでもない日常を書き留めておこうかなぁと思ったので書留をします。

 

最近目が一気に悪くなりました。なんでだ。

JINSで遠くまで見えるようにわざわざ作ってもらった外行き用眼鏡があるのですが、

ちょっと遠くの場所すら見えないことに気づいて悲しくなりました。

なんでかな…パソコンの画面の見すぎなんだろうか。

なんにせよこれは由々しき事態です。目よ頑張ってほしかった。

 

多分最近生物の広報誌作りの熱がまた再燃しているからなんだろうなって思ってます。

生物の広報、思いつかない時はさっぱりネタが思いつかず、

そもそも書く気にもならないのですが、

一個書くとだいたいその後10個くらい勢いが続いてしまいます。狂ってると思います。

最近は粘菌と伝染病で書きまくっています。まだ書ききれていません。

こんな広報誌誰が読むんだろうって思いながらもせっせと書く日々です。

ですが先日、授業に行った時ある女子生徒が、

この広報誌を何度も何度も読み返している、全部読んでいる という話を嬉々として伝えてくれて、ちょっと、というかかなり感動しちゃったんですよね。

もっと前に、他のある男子生徒には難しすぎて、暴走しすぎてて読めない って言われてしまって、とてもショックで、

だから自暴自棄になっていた部分もあったのですが。

一人でも読んでくれていると分かるとそれってすごく嬉しくて…

頑張ろうって気持ちになってしまいました。だからもうちょっとがんばりたい。

 

あと、最近は血液凝固の授業をしたせいか、

色んな生徒が血液を見せにやってきます。やばい集団です。

ある女子生徒は手首にバレーボールでできた痣を見せたくてしょうがなくて私に会える日を待っていたと言うし、

ある男子生徒は出血した瞬間フィブリン!トロンビン!と思い出されてテンションが上ったと言うし、

中々の反響です。面白かったのかね。

でもそういうのも実は嬉しいんだな。

 

授業って、すごく孤独です。

40人もの人がこちらを向いて座ってる中で、話すのは私だけなんですよ。(もちろん問いかけとかもするけど)

私の声、本当に届いてるかな?

この内容、伝わってるかな?

面白さ、わかってくれたのかな?

というか、なんか、授業って、無駄じゃないかな・・・

そんな気持ちに苛まれながら一時間やるんです。孤独です。

終わった後も一人さみしく去っていくのです。

始まる時も歓迎は誰もしてくれないのです。

孤独…

でもそれが、終わった後に質問や会話しに来てくれる子によって変わる。

始まる時にお手伝いをしてくれる子で変わる。

すごく嬉しいです。救われてるなって思います。

誰からも愛される教師でありたい、なんて思わないけれど、それに無理だし、そんなことは本望ではないのだけれど

誰かにとって私が「一人の教師」として認識されてくれていたら、うれしいなと思います。

 

あと全然関係ないけれど寝具を新調したいです。起きる時辛いです。

いいへたらない寝具ないかしら。調べるのも大変で疲れました。

 

明日は早起き。がんばろう。

筋肉体操最高!!!

今年の目標「代謝を上げて脂肪を燃やす」を掲げてはや2週間。

なんと、かなり頑張っています!!!

ありがたいことに、筋肉体操シーズン2がいいタイミングできてくれたんですよね。

なので筋肉体操の動画を見ながら谷本コーチに扱いてもらっています。

加えて、散歩、ランニング、+αの筋トレ、ダンスなどもちょいちょい入れているのですが

中々良い感じです。

痩せているかどうかはわかりません。なぜなら体重計ないので…

でも自分の身体を使っている感が、良い!!!!!

生きてる!!って感じがして達成感?満足感?があります。

継続して頑張っていくぞー!