あいまいまいんの生物学

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自分のキャパは定数だったのだなぁという気付き

皆さんこんにちは。

私は先日休業に入り、労働が剥奪された世界を生きている人間です。

労働、メインのものも勿論だけど、サイドのもの(兼業)も一切してはならないというのが割と辛い。人間何かをやろうとするとなんやかんや職になっちゃう。

ここらへんの制度の話等についてはいつかブログを書きたいと思っています。今日はそれは書きません。

 

 

今日のテーマはタイトル通り

「休職してみたら気付いたけど、自分のキャパシティって変数じゃなくて定数だったっぽい」

という話をします。これは個人の話なので、皆様にはまるかどうかはわからないです。

 

 

自分はこの1年間で、全然違う生活様式を数種類経験してきました。

2020年4月~5月 私は片道1時間半かけて勤務、夫は在宅。家事は全て夫が行う(仕事は両方する)

2020年5月~6月 私が在宅勤務になる、家事は分担して行う(仕事は両方する)

2020年6月~12月 私は片道1時間半かけて勤務、夫は在宅。家事は全て夫が行う(仕事は両方する)

2020年12月~2021年3月 私は片道1時間半かけて勤務し、家事も全て行う(仕事もする)

2021年4月 私は職がないので勤務しない、仕事もしない。家事も全て行う

 

こんな感じ。

前半戦夫が全部家事やってくれるなんていいね!と言われそうですが、片道1時間半は普通にきっついので、夫からの申し出で「負担を平等化」するためにこうなりました。平和的解決です。夫の思想に感謝。

ところが、2020年12月から急に夫がいなくなって、自分ひとりで生活を切り盛りしていかなければならなくなったんですね。

自分はかつて一人暮らしをしていたので、「まぁなんとかなるじゃろ」と思っていました。実際やっている最中は、「なんとかなってるな」と思っていたのです。が……

ところがどっこい本当は、あんまりなんとかならなってなかったらしいことに休業して気付き始めました。というのも……

 

休業初日、私が耐えかねて着手したのが掃除だったからです。

こんなに汚かったのか、こんなに生活するのに耐えられない部屋だったか、と思いました。ある程度綺麗にしていたつもりだったのに。

具体的に耐えられなかった点として、

  • 使う物が出しっぱなしになっていること
  • 衣類の分類が完全に狂っていたこと
  • 水場の汚れが放置されていたこと
  • 物を食べる机の上に書類が並べてあったこと

等など……勿論部屋のホコリや髪の毛の蓄積というのもありますが、それ以上に上のことが気になりました。

必死で生活している時には全く見えてなくて、とにかく職務と最低限の生活が回れば良い!という思考回路になっていたみたいです。実際家で過ごすのなんて、帰ってきてからご飯食べてお風呂入って寝るのと、朝出ていくまでの間だけだったし。滞在かつ起床していた時間は5h/1dayくらいだし、その中でも気が緩んでいた時間なんて1hもないくらいです。それ以外は全速力で生きるための事を片っ端から片す感じ。

そうやって構築された環境は、「家」というよりも「キャンプ」という感じで、どこかに出発するために最低限のやることを進行するための拠点になっていました。今見るとね。家というものの持つ役割を全て満たすような環境構築に手が回っていなかった。

その事実にあの頃は気付かなかった。

今、心の余裕と時間の余裕ができたから、やっと見えてきて、環境構築することもできてきたんですね。

過去とはいえ同じ自分がしたはずなのに、ちょっと信じられないなという気持ちになりました。「健康で文化的な最低限度の生活」って知ってる?って自分に聞きたくなる。

でもきっとあの頃の自分は「知ってるよ!この生活はちゃんと水準を満たしてるよ!ドヤ」って返してくると思うんですよね。だってあの頃の自分のキャパでは、家を家として維持することにまで何かを割けなかった。

 

もう一個、休業に入って「自分ってなんともなってなかったやん!」ってなった気付きがありました。それは「食」です。

冷凍庫がね、冷凍食品でいっぱいなんです。減らないんですよ。おかしい。今まではちゃんとサイクルしてたのに……と、違和感があって、それで気付きました。

あの頃は毎晩のように食べていました。疲れて、限界で、でも何か食べないと生命が維持できないし……

自炊するより美味しくて栄養もあるから、冷凍食品にしよう!って。

すごくストレートに考えてたんです。

はっきり言いますが、冷凍食品はなんにも選択肢として悪くないです。むしろ冷凍食品って本当に凄いよ。美味しいし、いつでもすぐ食べられる。

「冷凍食品はさぼり」とか言う人は洗濯物を洗濯板で洗って下さいなという気持ち。冷凍食品は立派な選択肢のうちの1つです。

外食、テイクアウト、冷凍食品、自炊、レトルト……何を選んだって健康に暮らせるならいいんじゃい!!!!!(栄養バランスは気をつけよう)

……だいぶ逸れましたが、とにかく冷凍食品が、休業してからサイクルしなくなってしまいました。なんで?

やはり、「作る」という行為がかなりキャパを逼迫する行為だったからじゃないかなぁと今は思うんですよね。今は、余裕があるから、選択肢の1つとして作るというのを選べるような気がします。

あの頃は、選びたくても選べなかった。選べたときもあったけど……でも選べないと確実に思ったときもあった。選択肢じゃなくて、冷凍食品しかないという時が。

 

こういう、「あの頃って、やれてると思ってたけど、実際は回すので精一杯だったんじゃね?」という気付きが幾つも重なって、

同時に「なんでそうだったんだろう?そして今はなんで違う視点になったんだろう?」と不思議に感じました。

その思考を巡らせた結果、自分って、キャパシティが変数・変幻自在・無限に拡張可能だと思ってたけど、

実際は定数で、その定数値のキャパを何にどれだけ振るかという生き方しかできてないんだろうなと思うようになりました。

つまり、今回の一人暮らしでは、キャパを10だとすると

6-仕事

3.5-生命維持

0.5-文化的生活

 

 

 

 

ってなってたんじゃないか。

そして今は、

0-仕事

4-生命維持

6-文化的生活

という風に値の振り直しが発生したので、「なんちゅう生活をしとったんじゃ」という気持ちになったのだと思うのです。あくまで仮説ですが。

 

 

「え?でも前も一人暮らししてたんでしょ?なら回せるでしょ普通?」ってなると思うんですが、

かつての一人暮らしと今回の一人暮らしって実際は全然違ったんですよね。異なる点を幾つか挙げます。

  1. 片道1時間半の通勤(かつての一人暮らしでは20分あれば楽勝だった)
  2. 夫がいてやってくれていた という所から 無 への変化
  3. 年齢
  4. 部屋が2人で住む用 つまり広い
  5. 部屋にあるオブジェクトも2人用 つまり多い
  6. 心理的不安定(渡航できるのいつ?という不安etc)

案外全部の要素が重荷でした。

だから余計、キャパオーバーギリギリの所にあったんじゃないかなと思うんです。特に2人用の部屋、辛い。2人用の部屋は、1人が生活するためには設計されていないぞと強く主張したいところ(今回つくづくそう思った)。

掃除するのも2倍以上だし、そもそも1人で生活してると部屋の隅々まで使わないです。気持ちも向きません。レーダーの範囲内に部屋が収まってないのよ。だからその辺から文化的生活の侵食が発生するね。

 

 

そんな訳で、一連の事を経験して自分は、本当に驚きました。

同じ自分でも、状況や環境によって「同一人物か?」と信じられなくなるくらい、振る舞いが変わるんだね。

キャパが大きい人ならそんなこともないのかもしれないけれど、私のキャパは中々に狭めだったらしい。うーん。

こんな経験をすると、周囲の人に対してもより一層、この人の今の人格や行動を作っているのは背景の状況や環境が多少なりとも影響しているよなと感じるようになってきました。前から分かっていたことではありますが、改めて強く思いました。

加えて、自分自身の出力についても、環境ありきのものであること 「自分の力だぜ!」なんて傲慢な考えはやっぱり間違ってて、どんな事があっても「周囲の人間・社会のおかげでやれるなぁ」という気持ちを忘れちゃ駄目だなとも思いました。

あとは自分のキャパの定数、もうちょいどうにかならんかなとも思いましたね。拡張したいなぁ。拡張が無理だとしても、今後自分が振る舞う時に、キャパの定数性を意識して行動決定なり構築なりしていけたらいいなとは思います。

 

 

なんだか説教臭くなってしまいました。

おわり。