あいまいまいんの生物学

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まいばいお12 DNA to Protein③

最初の記事↓
i-my-mine.hatenablog.com

 

次の記事↓

i-my-mine.hatenablog.com

 

いやー、長かった。

Researchat.fmに影響されたとは言え長く時間をかけすぎた感があります。お盆溶けた。なんだこれ。なんのバグ。

今回は 一番アツいところですね…RNA Tie Clubから始まりGenetic Codeを解明した歴史を行きましょう!取り敢えずこれで満足する!!

では最終回始めます!

 

  

✿DNAとタンパク質をつなぐもの

DNAの構造がわかると、「DNAにどのようにタンパク質の情報がエンコードされているのか」を理解しようという動きに自然に人々は向き始めました。

そこで特にその点を強く明らかにしようとした2人-物理学者George Gamowと生物学者James D. Watson-によって、「RNA Tie Club」というものが1954年に結成されます。

ちなみガモフは「ビッグバン仮説」の提唱で有名な人物です。

 

どうでもいい話ですが、この時期というか、これより前もだけど、分子生物学を開拓していった人たちって基本物理系とか生化学系の人なんですよ。

というのは、シュレディンガーの影響力がでかかったらしいんですよね。

シュレディンガーって言えば「シュレディンガーの猫」の人だし、「シュレディンガー方程式」の人だし、知らない人はそうそういないと思うんですが、

あのシュレディンガーが「生命とは何か(What is life? – The Physical Aspect of the Living Cell)」っていう本を1944年に出してて、これがまぁ中身がすごいらしい。すごいらしいけどまだ読めていないので私は中身について語れないんですが…(読まなきゃ…)

で、この本が色んな人に読まれてですね…物理系の人やら化学系の人を大いに刺激したそうな。

そうでなくてもまぁ、物理や化学や数学の成熟に伴って、「生命体とはどのような物理法則に則っているか?」「どの物理法則が適用されれば生命現象は説明できるのか?」というのは興味の矛先として起こって当然だったのだろうなという気はします。多分ガモフはそういうルートだし。

*1

 

話を戻す。

この会の目的は「solve the riddle of the RNA structure and to understand how it built proteins」…つまり、タンパク質合成においてRNAが果たす役割を明らかにすることです。

1939年には「RNAがタンパク質合成において何らかの役割を果たすだろう」という推測はすでになされていたんですね。だから明らかにしようと。

RNA Tie Clubのモットーは「Do or Die; or don't try」。

会員20名のみからなる会で、皆二重らせんをあしらったTieをつけてですね…各メンバーには20種類のアミノ酸が割り当てられました。

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RNA Tie Club。ネクタイを見たまえ

Member

Training

RNA Tie Club Designation

George Gamow

Physicist

ALA

A

ラニ

Alexander Rich

Biochemist

ARG

R

アルギニン

Paul Doty

Physical Chemist

ASP

D

アスパラギン酸

Robert Ledley

Mathematical Biophysicist

ASN

N

アスパラギン

Martynas Ycas

Biochemist

CYS

C

システイン

Robley Williams

Electron Microscopist

GLU

E

グルタミン酸

Alexander Dounce

Biochemist

GLN

Q

グルタミン

Richard Feynman

Theoretical Physicist

GLY

G

グリシン

Melvin Calvin

Chemist

HIS

H

ヒスチジン

Norman Simmons

Biochemist

ISO

I

イソロイシン

Edward Teller

Physicist

LEU

L

ロイシン

Erwin Chargaff

Biochemist

LYS

K

リシン

Nicholas Metropolis

Physicist, Mathematician

MET

M

メチオニン

Gunther Stent

Physical Chemist

PHE

F

フェニルアラニン

James Watson

Biologist

PRO

P

プロリン

Harold Gordon

Biologist

SER

S

セリン

Leslie Orgel

Theoretical Chemist

THR

T

トレオニン

Max Delbrück

Theoretical Physicist

TRP

W

トリプトファン

Francis Crick

Biologist

TYR

Y

チロシン

Sydney Brenner

Biologist

VAL

V

バリン

 

RNA Tie Clubではさまざまな議論がなされ、新しい考えが生み出されました。

その中でまず考えられたのが「いくつのRNAの塩基でアミノ酸1つをコードしているか」、すなわちコドンを構成する塩基数についてです。

これは主に1954年、ガモフによって数学を使って考えられました。

  • アミノ酸は20種類あり、これらを全て定義するには20種類以上の暗号文が必要である。
  • 塩基は4種類しかないため、2種類の塩基を使うと4×4=16通りで足りない。
  • だから3つの塩基で指定している」

と。

更にガモフは、3塩基のコードはオーバーラップしているということも提案しました。

つまり、ATGCTAという塩基配列はATG, TGC, GCT, CTAというアミノ酸コードを含むとし、

更に二重らせん構造のDNAの中で塩基配列が形成する溝に対応するアミノ酸の側鎖が直接入り込んでいってタンパク質が作られると考えたのです。これを「ダイアモンド仮説」といいます。

 

この仮説は同じくRNA Tie Clubに属していたSydney Brennerによって1957年に否定されます。

ブレナーが出した論文のタイトルは「On the impossibility of all overlapping triplet codes in information transfer from nucleic acid to proteins.」。

ここでブレナーが使ったのもまた論理です。

まず、オーバーラップトリプレット仮説では、ジペプチドは4塩基でコード化され、44 = 256種類の組み合わせが可能であると考えられます。

しかしアミノ酸は20種類なので、ジペプチドの可能性は202 = 400種類…つまり差し引き144種類のジペプチドの組み合わせはポリペプチド鎖の中に決して現れてこないと考えられるわけです。

このような理論をもとにブレナーは、当時あるタンパク質配列に関するデータを参照していって、隣り合うジペプチドの種類数を数え上げようとしました。

 

ちなみにタンパク質のアミノ酸配列は、1951年にサンガーがインスリンの配列を決めたのが最初でした。

しかし、この方法ではうまく行きそうなほど十分なデータがなかったため、以下の方法に転向します。

  1. アミノ酸配列j, k, lというものを仮定する(kにとってjはN隣接、lはC隣接とする)
  2. 例えばjとkはGCUAという配列で決定されていたとすると、jはGCU、kはCUAという配列で指定されることになる。kのコードCUAは同様に、ACUA, UCUA, GCUA(先頭の塩基を変えた)でも現れるので、jのアミノ酸4種類につき最低でもkの指定配列が1つ割り当てられると考えて良い。
  3. よってkのN隣接するアミノ酸を全種類調べ上げ、最低限kを指定するコドンが何種類あるかを計算で導くことができる。これはC隣接側でも同様にkを指定するコドンの最低個数を導ける。
  4. N隣接から導かれるkを指定する最低個数とC隣接から導かれるkを指定する最低個数を見比べて、大きい方がkを指定するコドンの最低個数とする。
  5. 全部数え上げていって64種類以上出たらおかしい。

ブレナーはこの理論で数え上げをしていって、結果、アミノ酸を指定するコドン数は70になってしまいました。

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論文に添付されているFigure。頑張ったねって感じだ

ここから、「オーバーラップトリプレット仮説では70のコード塩基配列を必要とするが、実際には64しかないのでこれは不可能だ」と結論づけ、コドンはオーバーラップしないということを証明したのです。

頭で倒すっていうのがいいよね。手じゃなくて頭なんだよ。私には無理だなぁ…

 

一方でクリックは1955年、核酸が特定アミノ酸との特異的結合能を実験的には見いだされていない現状を考慮し、

酵素的に結合したアミノ酸を持ち、対応する核酸コドンを認識するアダプター分子が翻訳を仲介する」という「アダプター仮説」をRNA Tie Club内の小冊子に載せました。

先にも述べたように(前回の記事参照)、実はこのほぼ同時期にザメニックらによってrRNA、tRNAが発見されており、

アダプター仮説で述べられているアダプター分子はまさにtRNAであるということがスピーディーに証明されました。

 

これら知見に基づきクリックは1957年、「Central Dogma」の考えを提唱します。

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最高にアガるやつだぜ!!!

Central Dogmaの概念で示唆された「DNA自己複製」については、1958年にMatthew MeselsonとF. W. Stahlにより半保存的複製機構がすぐ明らかにされました。

どんな実験かという話をしていくと、まずそもそも複製機構に関してはこの時期3つの仮説があってだな。

  1. 全保存的複製:なんか知らんけど元々の鋳型の2本鎖DNAと全く同じ塩基配列を持つ新たな2本鎖DNAができる
  2. 半保存的複製:鋳型の2本鎖DNAがぱかっと1本ずつにわかれ、それぞれ相補性を使いながら新しいヌクレオチドが相方の鎖を作っていく
  3. 分散的複製:これは「長くて何回にもより合わさった二重らせんの2本の鎖がいったいどうすればメチャクチャに絡まらずほどけるのか、無理やろ」と言ったマックス・デルブリュックによって考案されたもの。DNAの複製が切断と再結合を繰り返すと考えた。

この3つの仮説のどれが正しいかを突き止めたいねーってなった時、これって実は新しくできたDNAないし鋳型になったDNAを見た時にどこが新しく作られた部分でどこが古い部分か見分けられればよくない?ってなって。

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じゃあそれを見分けようとこういう手法をとった。

  1. 大腸菌を窒素として15N(通常の14Nよりも重い)しか含まない培地で育てる。→全部のDNAが15Nでできたヌクレオチドで構成される(古い鎖の目印)
  2. 大腸菌を14Nしか含まない培地に移して分裂させる。この時増えようとして新たに複製した部分のDNAでは、14Nでできたヌクレオチドが入っていく(新規合成部分の目印)
  3. 密度勾配遠心法というのを使って集めたDNAを遠心すると、同じ密度のDNAが同じ場所に集まってバンドを作る

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こんなふうに出るじゃろと予想する

ということで。

この方法を使うと、仮説3つそれぞれ違う結果が出てくるはずなんですよ。だからやってみたら、半保存的複製で期待されるパターン…1回分裂した大腸菌からのDNAはすべて真ん中バンド、2回分裂すると一番上と真ん中バンド、というふうに出たんですね。それで解明された。

しかしですね。これ綺麗に結果が出過ぎてるんですよ。おかしいんですよ。

だってね、もし複製途中の染色体とかがそのまま遠沈管に充填されていたら、変なところにバンドが出ていたはずですよね?

ここまで綺麗になったのは実は、彼らが遠沈管に充填するときに皮下注射器を用いていて、その中で知らないうちに細菌の大きな染色体が剪断されて小さな断片になっていたため、どの断片も完全に複製されているようになっていたのだそうですよ。なんちゅー奇跡だよって。


ということで、DNA複製はよろしいぞと。

セントラルドグマで未解明部分はじゃああとどこだというと、「DNAの情報をタンパク質に変換するために伝えるRNA」の部分です。

これってすなわちmRNAなんですが、じゃあmRNAの存在はこの時期どうだったかというと、1960年にSydney Brenner, Francois Jacob, Mathew Meselsonによって発見されるまではっきりと明らかにはされていませんでした。

実は1956年にElliot VolkinとLazarus Astrachanという人物が、大腸菌にファージを感染させると新たなリボソームの生成が止まるが、その時に生成されている唯一のRNAが不思議な特徴を有するということ自体は発見していました。

その特徴とは①リボソームRNAと違ってそのRNAの塩基組成はファージのDNAと同じになっている②その代謝速度はきわめて早い というものです。

実はこれはmRNAなのですが、彼らはその真理にまではたどり着けませんでした。

ブレナー・ジャコブ・メセルソンの3人はこの論文を読んでmRNAの存在を証明できるかもしれない、と思い、計画を練ります。

彼らの実験計画は以下のようなものでした。

  • 細菌を重い同位体を含む培地で生育させ「重く」ラベルしておき、ファージを感染させてからは軽い同位体で「軽く」ラベル する。
  • 新規にできるRNAとタンパク質は放射性同位体でラベルし、取り出したリボソームを密度勾配遠心法で分離する。

この方法で、ファージのタンパク質が作られる時に新たに作られるRNAはどのようなものか追跡できますし、リボソームは密度勾配遠心法で沈むことも知られていたので新たに作られるRNAリボソームに情報を運んでいるかどうか(同じ場所に存在しているかどうか)も調べることができます。

実際の実験ではリボソームの取り出しに非常に苦労したようで、マグネシウムを沢山入れればリボソームが安定的なまま、逆にマグネシウムが少ないとリボソームが不安定化して取り出されるということに気づくまでは大変苦戦したようです。

しかし逆にこの性質のおかげで、マグネシウムを沢山加えるとリボソームと新規作成されたRNAが同じ沈殿として現れ、

逆にマグネシウムを低くすると一緒の場所にいなくなる…すなわち新規合成RNAリボソームの一部部品などではなく、単純にリボソームが立体構造をとっているときにだけ結合している物質なのだということを証明することに繋がりました。

やったー!

 

✿遺伝暗号の解読

さて、ここまで理解が進んだものの、1960年を迎えて未だに解決されていなかったのが遺伝暗号-どの3つの塩基がどのアミノ酸を指定しているのか、という問題です。

いちばんの正攻法はDNAの一部や mRNAの配列を対応するホペプチドと比較する方法でしょうが、核酸塩基配列の決定手段はその10年後までなかったので、勿論無理な話でした。

 

そこで研究者たちは、単純なポリヌクレオチドを合成して暗号解読に結びつけようと考えました。

1955年にはSevero Ochoaによって実験室でRNAを合成できる酵素も発見されていたので、人工RNAは作れたのです(ただしこれはRNA合成酵素ではなくRNA分解に関係している酵素だと後に分かったものですが…)。

人工RNAを使ってタンパク合成装置であるリボソームポリペプチドを合成させれば、どのトリプレットがどのアミノ酸に対応するかを解明する糸口になるはずです。

mRNAを入れるだけでタンパク質を作ってくれる仕組みを作り出すために、無細胞タンパク質合成系の確立の研究が行われました。

 

さて、ここで現れるのがMarshall Nirenbergという人物です。

彼はもともと生化学部の博士課程出身で、1957年に30歳で国立衛生研究所(NIH)に入所しました。

彼はDNAからタンパク質が合成される過程に興味を持ちましたが、タンパク質・DNA、RNAについては完全に素人でした。

そこで、まず速読法を学んだのち、1分間に700語ほどの速度で過去の文献を読み漁りました。

更に1958年に発表されたtRNAに関心を持ち、彼もまた、無細胞タンパク質合成系の研究を始めたのです。

1960年に研究所にやってきたタンパク質の専門家であるJohannes Heinrich Matthaeiという人物とともに無細胞タンパク質合成系の改良に励み、結果系を作り出すことに成功しました。

その系は大腸菌の抽出液からなっていたのですが、このままだと細胞内にもともとあったmRNAからもタンパク質ができてしまいます。

自身が加えた人工RNAからのみのタンパク合成だけを拾い出すためどうすればよいか試行錯誤した結果、少量のリボヌクレアーゼ (RNA分解酵素)を加えて抽出物中の細胞由来のmRNAを破壊するという方法で解決され、彼らはあとは人工RNAを加えれば遺伝暗号の解読ができるところまで突き詰めました。

しかし当時の人工RNA合成技術はまだまだ乏しかったため、ニーレンバーグは鋳型がなくてもリボヌクレオチドをつなぎ合わせられる酵素:ポリヌクレオチドホスホリラーゼを利用して作ることにしました。

この酵素は出会うヌクレオチドをどんどん結合していく酵素なので、例えば1種類だけのヌクレオチドを含む溶液内で作用させれば自分が分かる配列のRNAを合成できます。

そこでまずはウラシルばかりが並んだmRNA(ポリーU)を初めて合成し、ポリーUを加えた無細胞タンパク質合成系に放射性標識したアミノ酸を1種類だけ入れるという方法を20種類分行うことで、ポリーUの指令ではフェニルアラニンだけを含むペプチドしか合成されないことを明らかにしました。

この情報媒体に含まれるトリプレットのコドンは UUU だけなので、彼らはUUU がフェニルアラニンを指定すると判断したのです。初めての遺伝暗号解読の瞬間ですよ!

 

ニーレンバーグとマティはポリーA とポリーCでも同じ実験を行い, AAA がリシンをCCCがプロリンを指定することを明らかにしました。

ただしGGGの意味はこの方法では確認できませんでした、なぜなら、ポリーGは珍しい三重らせんを形成し,無細胞系では鋳型にならないからです。

 

1961年8月、ニーレンバーグはモスクワで開かれた国際生化学会議で、この実験結果を発表しました。

6000名が参加した盛大な会議でしたが、彼の発表を聞きにきたのはわずか…。

しかし、聴衆の中にメセルソンがいたのです!

彼は講演が終わると駆け寄り、ニーレンバーグを抱きしめました。

更にメセルソンは大きな会場を駆け回ってクリックを探し出し、発表の内容を伝えました。

クリックは発表の重大性をすぐに理解し、大きな会場でふたたび講演する機会を設けさせたのです。

メセルソンとクリックはRNA Tie Clubのメンバーだったので、このメンバー外であるニーレンバーグによる解読はクラブにとっては敗北を意味するものでした。それでも、紳士的に喜ぶ姿勢は、さすが一流の研究者だなと思わざるを得ません。


実はこの講演の聴衆の中にSevero Ochoaもいまして(RNA人工合成の方法を生み出した人)。

彼は2年前にノーベル賞を受賞し、ニューヨーク大学で多くの研究スタッフを抱え100編以上の論文を発表していたような人物です。

オチョアはこの講演をきっかけに「よっしゃ我々もやれるで」と自身も遺伝暗号決定に乗り出し、ニーレンバーグはオチョアとの競争状態に放り込まれてしまいました。

RNA Tie Clubも勿論この講演と敗北に関して良い印象を持たず、特にワトソンに関してはマサチューセッツ工科大学にニーレンバーグを招いて講演させた時最前列で新聞を読むというパフォーマンスをしたほどです。ほんとワトソン嫌いや。


さて、ここからは残り61のコドンの解読が必要ですが、最初にも述べたようにこの時代まだ複雑な配列の人工RNAを作る技術はありませんでした。

1950年代には有機化学者のGobind Khorana が数種類のヌクレオチドからなる決まった配列のポリヌクレオチドをつくる方法を開発していたのですが、これはDNAにしか使えないものでやはりRNAでは無理でした。

しかしニーレンバーグの研究を知ったコラーナは、「決まった配列をもつ DNAをつくれば、RNA ポリメラーゼを用いてそこからRNAが作れる」と気づき、決まった反復配列をもつさまざまな mRNAを取りそろえて解読に取り組み始めます。

しかしこのような配列からの解読は断片的情報が得られるだけでそれを集めなければコドン特定には至らないため、困難を極めました。

 

このような局面を迎えてどこも難航していましたが、ついにニーレンバーグのもとに救世主が現れます。

それは医学部を卒業したばかりの若手研究者Phil Leder。

彼が加わったことでニーレンバーグは、ヌクレオチド3個すなわちコドン1個分のRNA 断片がリボソームと結合してアミノ酸と結合した適切な tRNA分子をそこに引き寄せること、

更にリボソーム・mRNAコドン・放射性標識アミノアシルtRNA各1個からなる複合体はメンブレンフィルターと呼ばれる孔の小さな多孔質フィルターに保持されることを利用しました。

彼らは非常に小さな3塩基や6塩基からなるmRNA断片を入れ、メンブレンフィルターで複合体をつかまえて、そこに結合しているアミノ酸を同定するという方法に転換したのです。

試しにトリヌクレオチドUUUを無細胞タンパク質合成系に加えたところ、これがリボソームに結合し, フェニルアラニンを持ったtRNA がUUUに結合することが確認できました。自分たちの最初に突き止めたGenetic Codeが、再確認できたのです!

この実験方法は非常に簡単で解析も容易だったためニーレンバーグによる解読を推し進め、

結果ニーレンバーグは64個中54個、残りはすべてコラーナが解読するという結果となりました。これが1966年のことです。

 

ちなみに、「コドンは3つ組である」ということに関しても、前まではRNA Tie Clubの数学的推測のみに基づいたものでしたが、

1961年にブレナーとクリックによって証明がなされました。

彼らは塩基の、ひとつや二つをのぞくとフレームシフトが起こるが、三つをのぞくと必ずしもタンパク質の活性は失われないということからコドンがトリプレットであることを証明したのです。(詳しく書く気力が!もう!ない!!!)

 

 

セントラルドグマのピースが埋まって

1940~1960年代の目まぐるしい時代を経て、クリックが提唱したセントラルドグマは概形が整う程度には明らかになってきました。

しかしまだまだ素晴らしい発見-今では教科書に載る当たり前の常識の発見-は続いていきます。

例えば1956年にはArthur Kornbergによって大腸菌でDNAポリメラーゼが発見され、「5’→3’末端の伸長しかできないDNAポリメラーゼで2本鎖同時に複製が行われるのは何故か」という問いに対して1969年岡崎令治・恒子によってラギング鎖の岡崎フラグメント形成が解明されます。

RNAイントロンという部分を含みスプライシングという加工がなされることも、1977年にPhilip SharpとRichard Robertsが明らかにしました。

遺伝子発現調節に関しても1961年とFrançois JacobとJacques Monodがオペロン説を提唱するなど、構造・仕組み・部品…さまざまな面での研究と発見が相次ぎました。

 

極めつけはFrederick Sangerによる大仕事でしょう。

サンガーは現在までで唯一、ノーベル賞を2回受賞した人物です。

一つは1952年のインスリンアミノ酸配列決定に対して。1952年といえばまだ、セントラルドグマも提唱されていない、DNAの構造すらも決定されていない時代ですが、このような時代に「タンパク質がアミノ酸のつながりでできている」ということを示すと同時にこのような大仕事を成し遂げるのは驚きです。

そして2つめのノーベル賞は1977年にサンガー法というDNA塩基配列決定法を生み出したことに対して贈られました。

 

 

ここでは紹介しきれていない沢山の、細かなピースを埋める何人もの研究者による数多の実験があって、私たちの今の教科書ができています。

今では当たり前のCentral Dogmaが、50年と経たない間に物凄い勢いで掘り出されていったのは、本当に信じられないことです。すごいことです。

何よりこの時代を生きていた人々の、頭脳と、色んな知識の応用が凄いなと常々思います。なんで思いついたの?なんでこんなに機器もないのにできたの?と、圧倒されるばかりです。

そしてその時代を生きていた研究者たちの気持ちや体感時間、環境も、推し量れないけど今とは全く違うものだったろうなと思いますね。どんな気持ちだったんだろう。どう思って日々を生きていたんだろう。

いやー、やっぱり分子生物学は良いね。

 

1869 Friedrich Miesche 核酸(nuclein)の発見
1919 Phoebus Levene RNAとDNAの違いの決定、ヌクレオチドの概念の提唱、テトラヌクレオチド仮説
1928 Frederick Griffith 肺炎双球菌を用いた形質転換の発見
1943 Oswald Theodore Avery 形質転換を起こす原因物質はDNAだと決定
1950 Erwin Chargaff  シャルガフの法則の発見
1952 Frederick Sanger インスリンアミノ酸配列の決定
1953 Alfred Hershey and Martha Chase T2ファージを用いて遺伝子の本体はDNAであることを証明
Francis Crick & James Watson 二重らせん構造モデルの提唱
Paul Zamecnick リボソーム(rRNA)の発見とタンパク質合成に関わることの示唆
1954 George Gamow & James Watson RNA Tie Clubの結成
1955 George Gamow ダイアモンド仮説の提唱
Francis Crick アダプター仮説
Paul Zamecnick tRNAの発見
Severo Ochoa RNAを人工的に作る方法を開発
1956 Elliot Volkin & Lazarus Astrachan mRNAを発見しそうになる
Arthur Kornberg DNAポリメラーゼの発見
1957 Francis Crick セントラルドグマの提唱
Sydney Brenner オーバーラップトリプレット仮説の否定
1958 Matthew Meselson & F. W. Stahl DNA半保存的複製
1960 Sydney Brenner, Francois Jacob, Mathew Meselson RNAの発見
Marshall Nirenberg & Johannes Heinrich Matthaei 初めての遺伝暗号解明
1961 François Jacob & Jacques Monod オペロン説の提唱
1965 Robert W. Holley tRNAの全塩基配列を解析
1966 Marshall Nirenberg, Gobind Khorana 全遺伝暗号解読
1969 岡崎令治・恒子 岡崎フラグメントの発見
1977 Philip Sharp & Richard Roberts イントロンの発見とスプライシングの発見
1977 Frederick Sanger DNAの塩基配列決定法(サンガー法)の開発

 

 

P.S. 先日の8/7日にPCR法を発明したマリス氏が亡くなったそうですね。

色んなこの時代の開拓者がだんだん亡くなっていくのは、かなしいね…

*1:

 

 今でも思うけど生物学って本当に乖離がすごくって(これはResearchatでも触れられててせやなと思ったんだけど)、生物学やってるのに所謂生物のこと全然知らないってザラなんですよ。私もそう。

私も分子神経生物学出身でタンパク質とかDNAとかそういうのは本当に最高に好きでめっちゃ勉強したけど、コアラだのラッコだのそういう生物については全然知らない。

正直ね、実はあんまり興味もない…だって生物そのものは「多様性の学問」だと思っているから。

私は一般法則を知りたい、すべての生命現象を貫くものを知りたくて生物学を学んだのであって、どの生物はこの条件でこういう適応をするとか、そういう発散的な話はどうでもいいなーって。

それらを束ねて見える法則は「環境に適応した形質を皆何かしら持ってますよ」ってことだけで、わーすごいなとは思うけどガツンとは来ないよね、そしてその一個一個を勉強したいとも思わないよね…

けど生物学の人って言うだけでそういうあからさまに分野が違うことについても、知識や興味を持つ人だと誤解される。そして無知だと教員は特に失望される。

 

ので、一生懸命勉強しました。